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<あなたに伝えたい>私も坂元おけさに打ち込む

坂元おけさ保存会の仲間と踊りの練習をする八重子さん(手前左)

◎柴田八重子さん(宮城県名取市)からサヨさんへ

 八重子さん 22歳で結婚してから40年以上同居しました。高齢になっても元気で、好きなことを存分に楽しむ人でした。身の回りのことや家庭菜園の手入れなどほとんど自分でこなしていました。
 趣味はカラオケ。地元のサークルに入会し、張りのある歌声を披露していました。川中美幸さんの「二輪草」が大好きでした。
 あの日、母は自宅にいて津波に遭いました。地元行政区の副区長だった夫は災害対策で出動し、私は用事があり町外にいました。
 急いで戻ると、自宅は跡形もなく消えていました。夫から「母がいない」と聞かされて驚きました。自宅は約500メートル押し流され、震災から6日後に近くで母の遺体が見つかりました。一人きりでどんな思いをして逝ったのかと考えるとかわいそうです。
 震災後しばらくは町内のみなし仮設住宅での生活が続きました。被災のつらさや悲しみの中、心の支えになったのは地元に伝わる民謡「坂元おけさ」でした。
 震災前から入っていた保存会で仲間と踊りの練習を楽しむのが、何よりの安らぎになりました。震災で辞めていたら鬱(うつ)になっていたでしょうね。
 現在は住み慣れた町を離れました。最初は町内で自宅の再建を考えていましたが、2人の息子の近くで暮らすことにしました。それでも、週1回の練習には車で50分かけて通います。好きなことに打ち込むのが元気のもと。亡き母の気持ちが分かった気がします。
(日曜日掲載)

<好きなことを存分に楽しんだ義母>
 柴田サヨさん=当時(89)= 宮城県山元町の自宅で息子の秀一さん(72)と秀一さんの妻八重子さん(71)の3人で暮らしていた。震災当時1人で家にいて津波に遭った。秀一さん夫妻は現在、名取市に再建した自宅に転居。八重子さんは、山元町の坂元おけさ保存会の練習で定期的に町内に通う。


2016年02月14日日曜日


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