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<石巻長面浦叙景>集う住民 つながる伝統

長面の住民が多く暮らす仮設住宅団地で披露された法印神楽=2015年9月

◎潟の震災史(3)神楽

<大冷害でも舞う>
 月夜に笛と太鼓の音色が響く。威勢のいい掛け声に合わせ、色鮮やかな衣装や面をまとった男衆が法印神楽の舞を披露する。
 昨年9月、宮城県石巻市長面地区の北野神社の奉祝祭。長面地区は東日本大震災で被災し、祭りは多くの住民が暮らす内陸部の仮設住宅団地で開かれた。
 氏子青年会が中心となり、早朝から特設の野外舞台を組む。夜神楽には約300人が訪れ、演舞に歓声を上げた。市外に移住した住民の姿もある。
 高橋範英宮司(65)が舞台脇でにこやかに見守る。「みんなで集まって笑い合い、よもやま話をして過ごすと、明日また頑張る元気が出てくる」
 神楽は長面に400年以上続く伝統芸能だ。出羽三山の修験者が気仙郡に伝え、長面に南下したという。江戸期は修験者、明治には神職が担い、その後、一般に伝承された。
 長面はかつて、住民の多くが半漁半農で、神楽で秋の収穫を祝った。1975年ごろの大冷害では、不作で周辺地区が中止しても舞い続けたとされる。雨が降れば、大工が即席の雨よけをこしらえて実施した。

<野外復活へ結束>
 神社ではなく、人が集まりやすい場所で開く。それが地区の習わし。震災前は中心部の広場が会場だった。一年で最大の行事であり、出店が立ち並んだ。近隣からも子どもが集まった。
 高橋宮司が振り返る。「当日は地区が祭り一色。大人は飲んで食って無礼講のような雰囲気。子ども心にも気持ちが華やぎ、小遣いをもらって出店に繰り出すのが楽しみだった」
 震災で舞台や衣装などが被災した。2011年は中止が検討されたが、高齢者の声をきっかけに開催が決まった。「神楽をもう一度見て死にたい」。仮設住宅の集会所で舞い、伝統をつないだ。
 「にぎわいを取り戻したい。今度は野外でやろう」と氏子が結束した。翌12年は地区の大工が腕を振るって舞台を造った。道具を借り集め、野外の神楽が復活した。

<深刻な人手不足>
 氏子らでつくる釜谷長面尾崎法印神楽保存会が伝承を担う。もともとは三つの団体だったが、人手不足で統合。それでも人が足りず、奉祝祭では北上地区の保存会の力を借りる。
 太鼓の武山質(ただし)さん(75)=長面地区=はメンバー最年長だ。この道約40年。大工の仕事の合間に教えを受け、名手の演奏を見て技を盗んだ。
 「若いころよりたたけないし、体が言うことをきかなくなってきた」。交代するとはいえ、日中から夜中までの演奏は体にこたえるが、「おはやしが聞こえると居ても立ってもいられない」。
 神楽の前途は険しい。それでも、氏子たちは信じている。神楽は長面の過去、現在、未来を結ぶ糸である−と。


2016年02月17日水曜日

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