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<3.11と今>浜を描いた油絵飾る

災害公営住宅で談笑する畠山さん夫婦。南三陸町の景色を描いた油絵を飾り、古里に思いを寄せる=仙台市
避難先の名古屋市から、震災時まで暮らしていた町営住宅を訪れた畠山武人さん(右)。入居者は全員無事だった=2011年8月、宮城県南三陸町

◎古里を離れて(3)宮城県南三陸町→仙台市 畠山武人さん、悦子さん夫妻

 いったん近づいた古里から、遠ざかる決断をした。
 東日本大震災で宮城県南三陸町の住まいを失った畠山武人(77)、悦子さん(74)夫妻は、名古屋市、登米市と転々とした末に昨年7月、仙台市の災害公営住宅に腰を落ち着けた。
 「本当に入居できるのか不安で緊張しっぱなしだった」。ほっとしたためか、悦子さんは片付けが一段落すると、しばらく気力が湧いてこなかった。
 震災から半月後、先々を考える余裕などないまま、長男が住む名古屋に避難した。当分は戻れないだろうと市営住宅に入居し、家具を買いそろえた。
 周囲は声を掛けてくれたが、気質の違いも感じた。9階の自室からの景色は家ばかり。息苦しくなった。「東海地震が起きてまた被災したら…」と怖かった。

 約半年で、登米市の南三陸町民向け仮設住宅に移った。共有する被災体験を地元の言葉で話せて心地よかった。入居者たちとグラウンドゴルフ、川柳、手芸などを楽しんだ。狭い部屋も苦にならなかった。
 ただ、いずれ退去しなければならない。ほとんどの人は登米に残るか帰郷を考えていた。
 武人さんは週3回の透析治療が欠かせず、南三陸で医療環境が整うのかまだ見通せなかった。子どもたちは中部や関西地方にいる。高齢の自分たちに何かあったときを考え、交通の便を優先する選択肢に傾いた。
 高速バスで何度も仙台市に通い、市に災害公営住宅の入居条件などを確認。迷った末に住民票を仙台に移した。抽選に外れ、入居先決定まで1年以上待った。

 仮設住宅を去る日、両腕でアーチをつくった住民たちが、笑顔で見送ってくれた。「10年若ければ…。古里に戻りたい気持ちはあるけれど、やっぱり夢。後戻りできない」と悦子さん。
 仙台では南三陸のころと同じ3LDKの部屋に入居した。同じような位置にお気に入りの油絵を飾った。
 津波が突き抜けた部屋に流されず残っていた絵。悦子さんが昔アワビを捕って遊んだ志津川の浜が描かれていた。「忘れるな」と訴えているように思えた。
 同郷の入居者はほかに1世帯だけ。気軽にお茶飲みできる親しい友人はまだいない。
 武人さんは市内でグラウンドゴルフを始めた。「車で通院し続けられるよう、健康を維持したい」。悦子さんもことしのえとにちなんだサルの縫いぐるみを作り、入居者らの展示会に出品した。
 「ここに来なければよかったと思いたくない。助かった命。楽しく生きたい」
 あの日、暮らしていた海沿いの町営住宅の屋上で見た青い津波は、まちをのみ込み黒くなった。
 5年近い時を経て、買っていた震災写真集に、初めてしっかりと目を通している。(坂井直人)


2016年02月18日木曜日

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