宮城のニュース
  • 記事を印刷

<アーカイブ大震災>悩み抱えつつ未来へ学び

親元を離れ、学校の柔道場で共同生活をする生徒たち=2011年7月2日午後8時40分ごろ、宮城県気仙沼市の気仙沼高校

 東日本大震災は、教育の現場にも大きな影響を与えている。校舎の損壊、間借りの教室、不自由な通学、仮設住宅が並ぶ校庭―。学校は幾つもの困難を抱えながら、教育の場としての機能を懸命に維持し、被災した子どもたちの心と向き合う。「ドキュメント 大震災」のシリーズ第3弾では、被災地の学校で何が起きているのかを追う。

◎学校で何が(1)高校生避難所(気仙沼高)

 宮城県気仙沼市の気仙沼高(生徒810人)では授業を再開した5月から、東日本大震災で自宅通学が困難になった生徒37人が柔道場で共同生活を送る。「通学の足」だったJR気仙沼線が不通となっている影響が大きい。過酷な体験はまだ消化しきれないものの、親元を離れて学業や部活動に励みながら、ともに未来を切り開こうとしている。

 今も体育館などに100人以上の住民が身を寄せる気仙沼高校。自宅通学が難しい生徒たちは校舎隣の柔道場で暮らす。
 2011年6月10日午後7時、サッカー部の練習を終えた2年二階堂広也君(17)が戻った。宮城県南三陸町歌津の自宅は津波で全壊。家族とともに町内の親類宅に身を寄せたが、5月9日の授業再開に合わせて学校に移った。
 「通学の足」だったJR気仙沼線は津波被害で不通となり、代行バスでは片道2時間近くかかってしまうからだ。「副キャプテンだし、部活に打ち込みたい」との思いも強かった。

 気仙沼線の利用者は全校生徒の約4分の1。復旧のめどは立たず、代行バスの本数も少ない。今春の入学予定者13人を含め既に22人が転校した。
 生徒の避難先は広範囲で、スクールバスではカバーしきれない。寄宿舎を建てたくても、被災地では仮設住宅が優先だ。気仙沼高が生徒用の「避難所」を用意した背景には、そんな事情がある。

 生徒たちは午前6時半に起床、全員で掃除をした後、炊き出しの朝食を取って登校する。昼食は売店のカップめんなどで間に合わせる生徒が多い。柔道場のスペースは男女別にパーテーションなどで仕切られ、夜は身の回りの片付けや勉強をして過ごし、畳の上に布団を並べて眠る。
 被災した家族と離れての暮らしに、抱える思いはさまざまだ。
 南三陸町志津川の3年山内秀斗君(17)は自宅と親の職場が津波で流された。被災時に携帯電話が通じなかった経験から、大学で通信技術を学びたいと考えているが、家族の負担を思うと「自分が早く親を養えるようにならないと…」と悩む。
 大学に進学し、国家公務員になろうと考えていた南三陸町歌津の3年三浦竜馬君(18)は志望を変え、高校卒業と同時に地元で公務員として働く決心をした。震災後、遺体捜索やがれき撤去の作業を通じて地域の人とふれあった経験が大きく影響している。
 「1000年後の津波に備えたまちづくりが、自分の世代でできるなんてすごいこと」
 6月28日。学校の試験の合間の日曜日、生徒数人が柔道場で教科書や参考書をめくっていた。
 三浦君が目指す地方公務員の試験は9月上旬に始まる。「あと70日しかない。学校の試験と内容が全然違うんですよ」と仲間を笑わせた。

 生徒たちの「避難生活」について、千田健一教頭(54)は「心の中にはつらい思いもあるだろうが、皆で支え合って明るさと前向きさを持ち続けている」と語り、こう付け加える。
 「ただ、(37人の中には)進路の選択を迫られている3年生も多い。人生の中でも大切な時期だけに、早く普通の生活に戻してあげたい」
 柔道場で暮らす生徒のうち5人は「被災地高校生からの復興」というブログを立ち上げ、心情をつづっている。
 「棺(ひつぎ)の中にドライアイスを入れる仕事をしました。(中略)大人として社会に受け入れられていることを自覚しなければならないと思いました」
 「避難所生活を始めて、どれほど親のおかげで自分が好きなように快適に家で過ごしてたかを痛感しました。(中略)避難所生活する高校生は協力しながら本当に仲良く過ごしていて感謝でいっぱいです」(高橋鉄男)=2011年7月4日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年02月20日土曜日

  • 記事を印刷

先頭に戻る