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<3.11と今>正解なき苦しさ直視

「福島も広島も同じ苦しみを背負っている」と話す石森さん。毎年8月6日には原爆ドームを訪れている=2月3日、広島市
原発事故による健康被害から子どもを守ろうと、郡山市では約170人がデモ行進した=2011年10月15日

◎古里を離れて(6完)郡山市→広島市 石森雄一郎さん

 福島第1原発事故で広島県内に避難した11世帯28人が、東京電力に損害賠償を求めた「福島原発ひろしま訴訟」。弁護団の石森雄一郎さん(36)は原告の1人でもある。
 福島県鏡石町生まれ。2013年春、郡山市の法律事務所を辞めて妻子の住む広島市に移った。
 原発事故当時、妊娠12週だった妻真理さん(37)はすぐに広島の実家に避難した。
 真理さんは被ばく3世だ。原爆投下後、広範囲に放射能汚染をもたらした黒い雨を思い起こした。結婚や就職での「被ばく者差別の恐ろしさ」も嫌というほど知っていた。
 長女が生まれた後も別居は続き、電話口で2人はぶつかり合った。「いつになったら帰るんだ」「戻らない。私は子どもを守る」
 多くの人が福島を去った。娘を案じる妻の気持ちを理解する一方、古里が世の中から見捨てられたように感じた。

 中学生のころ、法律を武器に暴力団と闘う女性弁護士の映画を見て弁護士を志した。社会の不条理に苦しむ弱者を法で守るのが使命と誓う。
 「福島に住み続ける人たちを置いて、自分が逃げだすことはできない」
 職業上の責任感と家族への愛情。はざまで悩み、一時は離婚も決意した。
 疲れ果てた心を解きほぐしたのは、腕に抱いたわが子のぬくもりだった。「この子を父のない子にしたくない」
 広島市中区に法律事務所を開設し、親子3人の暮らしを得た。弁護士は地域に根差した仕事だという信念を持つ。福島に戻る予定はない。
 この街に来て知った。戦後70年が過ぎても、原爆を背負って生きる人がいることを。
 因果関係が解明されないまま、自身や子の病気を「8月6日」と結び付けてしまう。長い間、被ばくの不安と向き合わなければならないのは、福島も同じだ。
 低線量被ばくは未解明な部分が多い。安全と思うか、危険とみなすか。とどまるか、逃げるか。国が避難を指示した区域以外は、個人に判断が任された。
 専門家でも答えのそろわない問いを突き付けられ、家族や仲間、地域が分断された。原発事故の被害は健康面だけではない。
 「避難した人も残る人も、分からないことの不安、正解のない苦しさが根底にある。一方的に不安を背負わされた同じ被害者だ」と雄一郎さんは強調する。

 真理さんは今、広島大大学院で放射線災害の復興を担う人材育成プログラムを学ぶ。「夫を福島から引き離してしまった。私の決断を科学的に検証したい」
 夫と妻はそれぞれの立場であの日に向き合う。
 「広島に来たことに悔いはない」と前を向く雄一郎さん。家族離散を経験した福島出身の弁護士として荷を負った。原発事故に人生を翻弄(ほんろう)された人々の代弁者として、言葉を紡いでいく。
(伊東由紀子)


2016年02月21日日曜日

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