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原発とともに盛衰 商店街帰還か決別か

新町通り商店街を歩く原田さん。店舗は手付かずのままだ=1月22日、福島県浪江町
原発事故前の十日市祭り。メーンストリートの新町通り商店街には人があふれた(浪江町提供)

 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県浪江町には、原発とともに発展し、双葉郡では最も規模が大きい商店街があった。町は早ければ来年春の避難指示解除を目指している。商店街から人影が消えて5年。帰還か決別か。商店主らにも決断の時期が近づく。(福島総局・桐生薫子)

 「シャッターを下ろしている店さえなかったんだ。古びた商店街でも、正直に商売していたのに…」
 1月下旬、一時帰宅した浪江町商工会長の原田雄一さん(66)は、静まり返った商店街を見詰めた。
 先輩の精肉店は昨年末、取り壊された。地元に愛された老舗だったのに、いとも簡単に。スーパーを営んでいた同級生は3年前、将来を悲観し自ら命を絶った。

 JR常磐線浪江駅から北東に延びる商店街は原発とともに発展した。1960年代に建設が始まると、夜は飲食店に原発作業員が集い、地元の人と酒を酌み交わした。東電や関連会社の従業員の家族らが買い物をし、家族ぐるみの付き合いも多かった。
 通りごとに七つの商店街で構成されていた。世間の不景気も関係なく、客足は途絶えず、住民1人当たりの飲食店数の多さが全国でトップ級になった時期もあった。
 昭和元年に創業した時計店の3代目である原田さんも恩恵を受けた一人だった。お客さんが店に入る前から90度のお辞儀をする名物店主。年間数億円を売り上げた時期もあった。
 「うちなんて古い店に比べたらひよっこだけど、かわいがってもらったな」。1万人分の顧客リストはもう使えない。
 明治初期に始まった「十日市祭り」が風物詩だった。11月下旬、瀬戸物や植木、服などを売る出店が並び、3日間で10万人の人出でにぎわった。
 祭りは仮役場がある二本松市で震災半年後に復活し、今も続くが、規模も熱気も違う。「こうなって初めて、地域のつながりはいいなって気付く。もう遅いかな」

 双葉郡で最も大きい商店街に育てたのが原発なら、半世紀後に崩壊させたのも原発だった。商店主と家族は全国に散らばった。避難先で商売を再開した人もいれば、賠償金を「退職金」代わりに廃業した人もいる。
 県商工会連合会の調べでは、浪江の事業再開率は1月時点で36%。復興需要がある建設関係が中心で、商圏を喪失した小売業、卸売業は伸び悩む。商店街で営業を再開したのはガソリンスタンド2軒だけだ。
 町商工会が昨年9月に実施したアンケートによると、避難指示解除後、町での事業再開を望んだ事業者は回答数(243人)の37%にとどまった。
 5年の月日が流れる中で店主の高齢化が進み、後継ぎたちも離れていった。「古里を思う気持ちだけじゃやっていけない。それが現実だよ」。原田さんがため息をついた。


2016年02月22日月曜日

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