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<全村避難>までい牛PR SNS通じ結集

までい牛をPRする佐藤さん(右から2人目)ら飯舘村出身のメンバー=1月10日、東大農学部キャンパス

 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村出身の東大大学院生らがSNS(会員制交流サイト)を通じて集まり、飯舘牛の血を引く「までい牛」のPRに取り組んでいる。復興を願う気持ちが引き寄せ、若者16人が参加。避難する畜産農家も協力し、5月の東大大学祭で焼き肉1000食分を販売する。
 1月10日、東京都文京区の東大農学部キャンパスで開かれた物産展。までい牛の焼き肉を売る露店は客が絶えず、約180食は3時間余りで完売した。「軟らかくて食べやすい」「食味は米国産と全く違う」と好評だった。
 出店したのは、飯舘村出身の若者4人と東大大学院生12人による「までいラボ」。大学院農学生命科学研究科1年で村出身の佐藤聡太さん(23)が呼び掛け、昨年9月に活動を始めた。までい(丁寧な)は村のキャッチフレーズだ。
 物産展は大学祭に向けた試金石。運営資金はメンバーがカンパした。佐藤さんは手応えを感じ、大学祭では5倍超を用意する。
 村のために何かできないか−。上京した若者の間でくすぶるジレンマを、佐藤さんはSNSのやりとりから感じていた。ラボの意義は彼らの漠然とした思いを形にすることにもあった。
 都内で芸能活動をする久保内由衣さん(23)は高校卒業後、村から遠く離れて暮らすことに引け目を感じていた。「少しでも村の力になれれば」と参加した。
 までい牛は、村から千葉県山武市に避難する畜産農家小林将男さん(59)が育てる黒毛和牛だ。原発事故後「とにかく牛は守ろう」と、2011年6月に142頭を連れて移り、飯舘牛の血統を守ってきた。
 飯舘牛の血を引いても、山武市で生まれた牛は「飯舘産」と表示できない。だが、古里ゆかりの牛を物産展で懸命にアピールする姿に「パワーをもらった」と小林さん。メンバーは小林さんの牛舎で餌付けや掃除も手伝ってきた。
 村は帰還困難区域を除き、来年3月までの避難指示解除を見込む。佐藤さんは「牛が村に帰れば堆肥ができ、田畑も戻る。帰還のきっかけになる。村の誇りを取り戻したい」と話す。
 活動は就職活動や研究などで大学祭でいったん休止するが、「復興のため、村出身者を中心に多くの人を巻き込んだ活動を続けたい」と佐藤さん。その後の展開に思いを巡らせている。


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2016年02月22日月曜日

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