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<その先へ>地図手に被災の古里伝える

震災時の状況を話す尾形さん

 「津波が来たぞ!」。叫び声を聞き、急いでギャラリーを目指し階段を駆け上がった。体育館がガソリンの臭いと水流のごう音に包まれる。ふと近くの窓から外を見ると、目の高さに車が浮かんでいる。

◎野蒜小OGの震災語り部 尾形祐月さん=仙台白百合学園高2年

 東日本大震災のあの日。宮城県東松島市野蒜小6年だった尾形祐月さん(17)=仙台白百合学園高2年=は、小学校体育館で津波に襲われた。同市のJR仙石線旧野蒜駅で今月上旬、地元住民にそのときの状況を丁寧に語った。
 「津波が来たとき、誰かに『下を見るな』と言われた。人が流されていたのだと思う。もし見ていたらトラウマ(心的外傷)になっていたでしょう」。落ち着いた口調で続けた。
 昨年8月から、小学校時代の同級生の女子で取り組む震災の語り部「TSUNAGU Teenager Tourguide of NOBIRU(TTT)」の一員として活動している。

 この3月11日には東京都武蔵野市で単身、語り部として体験を話す。地元を訪れたツアー客やボランティア向けに活動するTTTが遠征することは少ない。活動が縁となり誘われた。
 当初は戸惑ったが、「野蒜に来られない人も多い。首都圏の人に地元のことを知ってもらえる」と買って出た。
 野蒜を知ってほしい−。あの日もそうだった。児童が総合学習の一環で地域を調べた成果を、保護者や住民に発表していた。同級生6人と学校周辺の商店などを写真と聞き書きで紹介する「野蒜銀座マップ」を作って配った。
 古里の魅力を地域に伝えた直後、その風景は跡形もなく消えた。「マップは駅に掲示されることも決まっていた。地域に貢献できたと達成感があったのに…。皮肉ですね」
 マップは発表を見に来ていた祖母エミ子さん(71)のバッグに入っていた。孫娘と共に体育館に避難したエミ子さんは津波にのまれかけたが、バッグは手放さなかった。
 「震災前の野蒜の様子が分かる物は今、これくらいしかない」。語り部を務めるにつれ、マップは欠かせない資料になった。

 旧野蒜駅であった語り部の活動でも、地元住民にマップを配布した。マップには震災前の郷里の姿が写っている。小学校時代の思い出も詰まった宝物だ。
 東京で3月11日、マップを手に震災、古里のことを伝える。「古里や日常はいつ崩れるか分からない、人とのつながりが大切だと話したい」(八木高寛)


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2016年02月23日火曜日

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