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<3.11と今>歴史途切れさせまい

津波に耐えた土蔵を核に、門脇地区に人を呼び込みたいと話す本間さん=15日、石巻市門脇町2丁目
壊滅的な被害を受けた門脇地区で、踏ん張るように残った土蔵。右下に立っているのが本間さん=2011年4月12日(修復に携わった建築家の佐藤敏宏さん撮影)

◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(中)とどまる

 黄土色に整地された区画を縫って復興事業の工事車両が行き交う。東日本大震災で大津波に洗われるように壊滅した宮城県石巻市門脇地区。3年後、400戸1000人規模のまちに生まれ変わる計画だ。
 現在、暮らすのは25世帯だけ。商店や郵便局、病院はない。地区内に建設中の災害公営住宅への入居希望者は3割に届かない。
 「買い物もままならず不便になった。津波の恐怖が残る人もいるだろう」。門脇でテニスコートを経営する本間英一さん(66)は語る。

 あの日、不安を押し抱いて日和山の斜面を駆け上った。眼下でまちが津波にのみ込まれていった。家々が押しつぶされる音が今も消えない。それでも、生まれ育った門脇を去ることはなかった。
 2012年、被災に伴う建築規制を外れた所有敷地の一画に、いち早く自宅を再建。地域再生の基盤をつくろうと住民組織「まねきコミュニティ」を設立した。
 日和山に続く階段の清掃、昼食会などを通じて「つながりは震災前より強い」と胸を張る。まねきの名は、日和山中腹から旗を振って千石船を誘導した職業を「マネキ」と呼んだ故事に由来する。
 石巻湾を一望する日和山は本間さんにとって勝手知ったる裏山だ。春は桜を楽しみ、冬晴れの日ははるか向こうに見える福島・いわきの海岸線に目を凝らした。
 江戸時代は、仙台藩の米を江戸に輸送する千石船の往来が一望できただろう。
 20年ほど前、市内の回船問屋の子孫や郷土史愛好家による「石巻千石船の会」が発足した。本間さんの先祖は千石船船主。会報作成や研修旅行で地域の歴史を学ぶうちに、誇りが芽生えた。
 「門脇には腕利きの船大工が多かった。石巻の舟運を支えていた」

 何もかも流されてしまった敷地で、1897年建築の本間家の土蔵が原形をとどめた。中の古文書も無事だった。周辺の甚大な被害を見ればそれは奇跡に近い。
 先祖が土蔵を守り、地元での再出発を応援してくれているのだろうか。がれきに立つ土蔵は門脇再生の象徴となった。
 建築の専門家らに保存を後押しされ、寄付で修復した。「歴史を途切れさせてはいけない」。覚悟ができた。
 先祖から受け継いだ土地や資産を地域のために使おうと決意した。震災の教訓を刻むメモリアル施設として土蔵を公開。被災の状況や歴史資料を伝える。大型バスを止められる駐車場と売店を整備し、日和山に観光客を誘致したいと考えている。
 売店には日用品も置くつもりだ。「もうけ抜きで、ここで暮らし続けるお年寄りの役に立てれば」と妻の信子さん(64)は話す。
 門脇を再びにぎわいあるまちに−。夢を描いて日和山から招きの旗を振り続ける。(伊東由紀子)


2016年02月25日木曜日

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