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<3.11と今>激励 伝承 変わる役目

看板前で友人らと3月11日の追悼行事に向けて話し合う黒沢さん(右から2人目)=21日、石巻市門脇町5丁目
津波で流失した黒沢さんの自宅跡地に設置された「がんばろう!石巻」の看板=2011年4月26日

◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(3)思いつなぐ

 背丈ほどの雑草が生い茂る一角に、ベニヤ板の看板が立つ。風雨にさらされて色はくすみ、所々ひび割れているが、「がんばろう!石巻」の文字は力強さを失っていない。
 宮城県石巻市門脇地区で配管工事業を営んでいた黒沢健一さん(45)が東日本大震災の1カ月後、津波で流失した店舗兼自宅跡に建てた。
 「自分も含め、生き残った人たちへのエールであり、ファイティングポーズだった」
 激震が襲ったときは仕事で東松島市にいた。車で帰宅する途中、津波に遭い、道路脇の木によじ登って間一髪で助かった。翌日にたどり着いた門脇はがれきの海だった。
 市内陸部の出身で、門脇の水道会社に就職した。お年寄りが路地に集い、子どもの笑い声が響く街の雰囲気に引かれ、独立する際にこの地に店を構えた。

 大好きだった街が消えた。自衛隊員が毛布にくるんだ遺体を運んでいた。絶望の中、誰もがうつむきながら歩いていた。「津波に負けたくない」。悔しさがこみ上げ、自分にできることを探した。
 「大きな看板に希望になる言葉を書こう」。友人らの手を借り、拾った板で看板を製作した。「自分たちも被災した。頑張れじゃなく、前を向ける人から頑張ろうと呼び掛けよう」
 完成後、通りすがりの人が足を止めて見入っている。涙を流す人もいる。近所の男性は「俺も頑張るから」と声を掛けてくれた。
 犠牲の大きさが次第に分かった。友人や仕事仲間も亡くなった。看板に手を合わせる人や花を手向ける人がいた。2011年の8月、看板前で追悼のキャンドルをともした。以後、毎年3月11日などの節目に追悼行事を重ねる。
 門脇、隣接の南浜両地区で539人が死亡・行方不明になった。遺族の複雑な思いが交差する場所だ。「脚光を浴びたいのか」「看板なんて見たくない」。そんな言葉も浴びた。

 震災直後、店舗にいたはずの妻を捜し、壊滅した街をさまよった。「もう駄目か」。諦めかけて訪れた避難所で、やっと姿を見つけた。「あのときの苦しい気持ちを、ずっと抱え続ける人がいる。寄り添うと言ったらおこがましいが、思いは大切にしたい」
 追悼行事では前を向けない遺族に配慮し「復興するぞ」の文字をキャンドルで作るのをやめた。明かりが消えると「亡くなった息子が帰っていくようでさみしい」と言われ、夜中まで火がともるようにした。
 「震災に向き合い、自分は正しいのかどうかを問い続けた5年間だった」。震災を伝え続ける難しさも感じる。一帯は草むらになり、住宅地の造成が進む。震災の痕跡は薄れ、自分の記憶も曖昧になった。
 看板前に据え置いた記帳ノートは24冊目になった。県内外のたくさんの人が思いをつづる。看板は南浜に整備される復興祈念公園に移設される。「1年で役目を終えると思ったが、作った自分たちの手を離れたようだ」
 激励、追悼、伝承−。看板は時とともに移ろう思いを受け止め続ける。(高橋公彦)


2016年02月26日金曜日

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