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<村山謙太>日本一へ努力怠らず

旭化成の村山謙(左)と紘太の兄弟=2015年12月、宮崎県延岡市

◎五輪へ勝負(下)向上心

<自宅周辺で練習の日々>
 2007年7月の宮城スタジアム(宮城県利府町)。宮城県中学総体の男子3000メートルを視察した宮城・明成高の中村登監督は一人の少年の走る姿に一目ぼれした。
 「走るリズムとばねが良かった。光るやつだった」。少年は後に同校へ入学する仙台市八軒中の村山謙太(旭化成)。謙太が双子であることを知った中村監督は同年秋の市中学駅伝で弟の紘太(旭化成)を見て「間違いない。2人とも長距離で活躍できるイメージがあった」と進学を勧めた。
 「僕のことを呼んでくれている」。中村監督の誘いを謙太は意気に感じた。
 「兄弟で相談しながら練習したのが一番の思い出。記録が伸びたきっかけになった」。謙太と紘太が口をそろえるのが、高校入学までの半年間で積んだ自主練習だ。
 自宅周辺を拠点にランニング、筋力強化や短距離走を織り交ぜるサーキットトレーニングに励む日々。車両通行止め用のポールがあれば「ハードル代わりにして跳んだ」(謙太)。

<内容に不満、監督と衝突>
 成果は早速表れた。中学時代、2人は長距離で平凡な成績だったが、高校入学後は謙太が上級生十数人を追い越してエースに上り詰めた。
 だが、「普通の子では考えられない意識の高さ」(中村監督)があだとなり、恩師の監督と何度か衝突した。「体が成熟していないので慎重にやらせたかった」と言う監督に対し、謙太は「日本一になりたい」と譲らない。練習に不満を漏らして訴えると「転校しろ」と中村監督から怒鳴られ、悔し涙をこぼしたという。
 「強豪校ではなかったので、練習が物足りなかったはず」。中村監督は当時を振り返る。駒大に進学した夏、仙台に帰省した謙太から「すごく楽しい。充実しています」と大学生活の近況報告を受けた。「欲求不満のまま大学に進んだ。それで良かった」と教え子の成長を陰ながら見守った。
 長距離の強豪、駒大でエースとして駆け抜けた謙太。今度は日本のエースになるべく、東京マラソンのスタートラインに立つ。


2016年02月26日金曜日


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