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<3.11と今>命守る防災教育訴え

旧門脇小校舎の保存をめぐる公聴会で、賛成意見を述べる鈴木さん。「自分の言葉で語る姿を示すのも、教師の責任」とマイクを握った=13日、石巻市門脇中
1カ月遅れの卒業式で子どもたちと記念撮影に臨む鈴木さん(後列右から4人目)。校長室の金庫にあった卒業証書は津波と火災の被害を免れた=2011年4月15日、石巻市門脇中

◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(5)教師として

 自宅の仏壇の前で毎朝、東日本大震災で死亡・行方不明の教え子7人の名前を心の中で呼ぶ。「守ってあげられずごめんなさい」
 宮城県石巻市の鈴木洋子さん(65)は定年退職を20日後に控えた2011年3月11日、同市門脇小の校長として震災に遭った。
 その朝、最後となった全校集会で励ましの漢詩を贈った。
 <桃花笑春風(とうかしゅんぷうにえむ)>
 苦しくつらいことが待ち受けているだろうが、しっかりと受け止めて日々の生活をきちんと送ればやがて希望の春が訪れます−。数時間後、試練が早くも訪れた。
 大津波警報発令を聞き、すぐに児童を日和山公園まで避難させた。普段の訓練通りの落ち着いた行動に、校庭にいた住民や保護者も続き、門脇・南浜地区を襲った津波から命を守った。「児童の率先した避難に助けられた」と感謝された。
 しかし既に下校した児童のうち、7人の笑顔は学びやに戻らなかった。
 「もっと津波を強く意識して、大きな地震が起きたらすぐに避難するよう日頃から児童や保護者に伝えていたら…」。無念さがこみ上げた。

 3月末、学校再開の準備途中で定年となり、33年の教員生活を終えた。4月中旬に行われた1カ月遅れの卒業式で、奇跡的に無傷だった卒業証書を手渡した。
 学校現場を離れても、震災の経験を伝えることが自分の役割だと感じた。教育関係者らへの講演や現地案内を積極的に引き受けた。5年間で100カ所近くに講演に出向いた。
 学校での取り組みや当時の避難行動だけでなく、地域の地理と災害の歴史、地震・津波の仕組みなどを教え、防災意識を高める重要性を説いた。
 「自分で判断し、行動する子を育ててほしい」と訴えた。あの日、親が不在で1人で家から小学校に避難してきて助かった児童の行動が、まさにそうだった。

 地域の大半が住めなくなり、新入生が激減。門脇中を間借りしていた門脇小は15年3月、142年の歴史に幕を閉じた。
 校舎を震災遺構として保存するか、解体するか。今月13日に石巻市が開いた公聴会で、鈴木さんは震える思いでマイクを握った。
 「これからの子どもたちに津波の恐ろしさを伝えるため、津波災害が一目瞭然の校舎は、極めて重要だ」
 地域の住民には学校運営でとても協力してもらった。無残な校舎を見るのがつらい人もいる。家も家族も無事な自分が意見を言うべきではないと思った。
 一方で徐々に震災を知らない世代が増える。「命を守る防災教育のよすがとしたい」。教師としての責任感に突き動かされた。
 公聴会で、当時門脇小6年生だった女子高生2人も、堂々と考えを述べた。
 「発言してくれてうれしかった。あなたたちが将来を担うのよ」。閉会後、鈴木さんが語り掛けた。
 <桃花笑春風>
 困難と向き合い、強く生きる教え子たちの成長に、5年前の言葉が重なる。(坂井直人)


2016年02月28日日曜日

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