岩手のニュース

<あなたに伝えたい>もっと一緒にいたかったな

引っ越したばかりの災害公営住宅で位牌(いはい)にお酒を供える朝子さん

◎堀子朝子さん(岩手県宮古市)活朗さんへ

 朝子さん 漁師はほとんど引退していて、捕るのは2人で食べる分だけでした。漁具を置く小屋で毎日のように仲間と酒盛りするのが、じいちゃんの楽しみ。調理器具もあって、捕った魚や育てた野菜を自分で料理していたようです。その様子を夜に話すのが日課でした。本当にうれしそうに話すんですよ。
 震災があった日は、いつも通り朝早く起きて小屋に出掛けて行きました。そのとき見た後ろ姿が、最後になってしまいました。
 JR宮古駅近くで津波を逃れた翌日、田老にたどり着き、じいちゃんがいないと知らされました。突然いなくなってしまったせいか、ひょっこり帰って来そうな気がします。お墓を建ててもうすぐ4年ですが、亡くなったことを認めたくない気持ちがまだあります。
 けんかはしょっちゅう。それでも、いつも一緒にいてくれました。街で夫婦が仲良く歩いている姿を見掛けるたびに、もっと一緒にいたかったなと思います。
 19日に仮設住宅を出て、流された家の近くに建った災害公営住宅に移りました。花巻市にいる息子は一緒に住もうと言ってくれますが、じいちゃんと過ごした田老を離れたくなくて。
 玄関を出ると裏山のお墓が見えます。いつも「大好きなお酒だよ」と話し掛けながらお供えしています。以前は体に悪いから飲むのはやめなさいって言っていたんですけどね。
 じいちゃん、好きだったお酒と福寿草を持ってお参りに行くから、見守っていてね。

<仲間との酒盛りうれしそうに話していた>
 堀子活朗さん=当時(75)= 宮古市田老で漁師をして、妻朝子さん(76)と2人で暮らしていた。1女1男を育て、8人の孫に恵まれた。地震後、防潮堤の上で友人らと海の様子を見ていて津波にのまれたとみられる。20日後に防潮堤のそばで見つかった。


2016年02月28日日曜日


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