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<3.11と今>日常の大切さ 伝える

模型を見ながら、門脇と南浜の被災前の暮らしなどを語り合う藤間さん(左)と高橋さん=13日、石巻市の南浜つなぐ館
震災を受けて当時住んでいた横浜市から石巻市に支援に入り、被災者向けの食料供給場所の調整に当たる藤間さん。橋渡し役の重要性を知った=2011年5月、石巻市

◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(6完)手をとって

 「南浜つなぐ館」。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市門脇・南浜地区に昨年11月、ユニットハウス1部屋の小さな震災伝承施設ができた。
 周りは5年の歳月を経た復旧途上の更地が広がる。隣の土地には震災の1カ月後から立つ「がんばろう!石巻」の看板がある。
 南浜つなぐ館は、公益社団法人みらいサポート石巻が運営する。土日と祝日に限定して開いている。
 約40平方メートルの室内に、石巻専修大の学生らが門脇・南浜の街並みを再現した縦横約2メートル、750分の1スケールの模型を展示。震災前に撮った両地区の航空写真のパネルも掲げている。
 みらいサポート石巻のスタッフ藤間千尋さん(37)は「模型や写真を見るなり、震災体験や、かつての暮らしを語り始める人が実に多い」と明かす。
 あの日までここで暮らしていた住民、再生を願い各地から石巻を訪ねてくる人々…。1月末までに2000人以上が足を運んだ。
 「『つなぐ記憶』プロジェクト」と題して、思い出や震災体験を来場者に書き記してもらっている。
 <家があったんだよな…、女房ドコニ?><遊歩道の桜がきれいだった>−。行方不明の家族への思いや、被災前の街並みを懐かしむ声。航空写真のパネルに貼られた付箋には、こうした言葉が幾つも連なる。

 「津波と火災で破壊される前、門脇と南浜には住民一人一人の日常が確かに存在した。その事実を後世に伝えることも私たちの役割」と藤間さんは言う。
 南浜には復興祈念公園が造られることになった。みらいサポート石巻は地域ゆかりの人々の思いをさらに集め、同公園に震災伝承のバトンを渡していこうと考えている。
 今月13日、南浜つなぐ館で「公開語り部会」が初めて開かれた。語り部は、南浜町の実家に住む両親を津波で亡くした塩釜市の高橋匡美(きょうみ)さん(50)。藤間さんらの活動に賛同して引き受けた。
 震災発生から3日後、煙がくすぶるがれきをかき分けながら実家にたどり着いた。家の中で母親を、約2週間後に遺体安置所で父親をそれぞれ発見した。その時の深い悲しみや、震災後の日々を語った。
 高橋さんは、被災し15年3月に閉校となった門脇小の卒業生だ。「さあ手をとって手をとって進もうよ−」。同小の校歌を歌った後、「明日が当然のように来る保障はないと震災で学んだ。今を共に生きていこう」と結ぶと、来場者から拍手が送られた。

 震災が発生してすぐ、支援者の立場で横浜市から石巻にやって来た藤間さん。本格的に移り住み、腰を据えて再生の一翼を担う。
 失われた街並みの記憶を呼び戻し、思いを言葉にする。語り継ぐ…。そうした積み重ねの先に、壊滅したまちの明日が開けてくるのかもしれない。
 「手をとって進もう」。門脇小の校歌の一節をかみしめ、南浜つなぐ館で出会う人々と心を通わせ、橋渡しをしていきたいと心に誓う。(武田俊郎)


2016年02月29日月曜日

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