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<浜を歩く>鎮魂の地 新しい街に

塩屋埼灯台を望む薄磯地区。復興工事が急ピッチで進む

◎薄磯(いわき市)将来の姿 見えぬまま

<115人が命失う>
 美空ひばりの「みだれ髪」に歌われた福島県いわき市の「塩屋の岬」。名画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台、塩屋埼灯台に上る。絶景。大海原の左右に白い砂浜が広がる。左が薄磯、右は豊間。東日本大震災の津波で共に大きな被害を受けた。
 灯台を下りる。薄磯へ、市内で最も多くの人が犠牲になった浜へと向かう。
 大型ダンプが間断なく行き交う。裏山を削り、土を運び、盛る。削った山の高台と、かさ上げした平場に区画整理で市街地を造る。防潮堤との間には幅50メートル、盛り土の海抜10.2メートルの防災緑地ができる。区長の鈴木幸長さん(63)は「良くも悪くも全く新しい街になる」と語る。
 海岸に張り付くように約280世帯が軒を並べた。板かまぼこの工場や民宿、干物、加工場…。白砂、遠浅の海水浴場には年25万人が訪れた。激震の後、海の水がなくなった。間もなく、高さ8.5メートルの津波が集落の全てをのみ込んだ。
 住民のおよそ7人に1人、115人が命を失った。
 月命日の11日、「修徳院龍宅寺」に地域の人が集まる。寺も津波に襲われ、先代の住職が亡くなった。7、8人の僧侶が読経し、灯台の下で水塔婆を流す。
 墓の入り口には、月命日近くになると「ご自由にどうぞ」と花が置かれる。市内で花屋を営む国井和彦さん(50)が無償で続ける。被災直後、遺体の収容を手伝い、「少しでも遺族の慰めになれば」と始めた。
 一区切り付けようと思い、花を置きに行ったときのこと。「いつもありがとうね」。おばあさんに声を掛けられた。その人は夕闇の墓の方に歩いていった。「やめられなくなった」

<碑建立を計画>
 震災5年の3月、一部で宅地の引き渡しが始まる。完了は2017年5月。字の付く住所が「薄磯○丁目」に変わり、整然とした街が登場する。「夢はある。だが、どんな街になるのか、これがまだ分からない」と区長の鈴木さんは言う。
 市の意向調査では、引き渡し後、家を建てる予定の区画は45.1%、予定なし20.6%、未定34.3%。「どれだけ人が戻るだろうか。5年は長すぎた」
 原発事故ものしかかる。「いくら安全だと言っても、前のように泊まりがけで海水浴に来てくれるのか。かまぼこ屋が幾つ復活するのか」。心配は尽きない。
 薄磯行政区はいま、慰霊碑建立の計画を進める。母と共に逝った胎児から94歳まで、犠牲者全員の名を刻む。7回忌、17年3月11日に除幕する。同時に、市が構想する震災伝承の施設をこの鎮魂の地にと望む。
 津波で両親を失った政井隆美さん(61)は言う。「生まれ変わった街に足を運んでもらい、震災を語り継ぐことが供養にもなる」
 夜、ライトに照らされ、真っ白な灯台が闇に浮かぶ。灯火が回る。見上げると、満天の星。言葉を失い、冥福を祈る。(いわき支局・古田耕一)


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2016年02月29日月曜日

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