広域のニュース

<あの時政治は>協調霧散 対決に回帰

巨大地震が開会中の参院第1委員会室を襲った。首相菅(中央下)は肘掛けを両手でつかみ、天井のシャンデリアを見上げた=2011年3月11日

◎震災5年(上―2)幻の大連立

 首相菅直人率いる民主党政権は死に体だった。
 2010年参院選の民主党大敗で「ねじれ国会」が出現。野党・自民党の攻勢は厳しく、内閣支持率は20%前後に沈んでいた。
 3月11日午前、菅は参院決算委員会で在日韓国人からの違法献金を認めた。内閣総辞職か衆院解散か−。政局が沸点に差し掛かったその時、震災は起きた。
 「政治休戦だ。与野党の枠を超えて復旧に取り掛かろう」。公明党幹事長井上義久(衆院比例東北)の呼び掛けに、15日開かれた幹事長国対委員長会談は意見が一致した。
 官邸は混乱を極めた。「市町村長とのネットワークは自民が圧倒的に上だ」。党副総裁大島理森(衆院青森3区)は、被災地の要請を伝え続けた。民主党代表代行仙谷由人が官房副長官として官邸入りすると頻繁に連絡を取った。「あんたが官邸をこね回して、どんどんやらんと」。与野党に協調機運が高まった。
 菅、谷垣の電話会談決裂後も、民主は自民に秋波を送り続ける。
 民主党国対委員長安住淳(衆院宮城5区)は、自民党国対委員長逢沢一郎らと接触。「期限を区切った限定連立はどうか」と持ち掛けた。「野党が被災者の不満を吸収してしまったら、政府批判が強まる」。安住は不安に駆られていた。
 大連立には、野党に連帯責任を負わせる意図もうかがえた。「辞任寸前だった首相が延命しようとしている」。党国対副委員長小野寺五典(衆院宮城6区)は正面から反対論を唱えた。
 大島も谷垣に進言し続けた。「信頼関係が首相とは希薄だ。一種の閣外協力でいい」。4月7日、谷垣は記者会見し、大連立拒否を表明した。
 政局は対決モードに回帰し始めた。
 「これで本当に国難から復興できるのか。トップが交代する選択肢もあるかと思う」。当初は協力姿勢だった井上も同15日、菅退陣に触れた。
 政局に踊らされた大連立は不要だったのか?
 「復興のスピード感が違っただろう」と惜しむ寺田。大島は「批判は受け止めるが、予算化の作業がそれほど遅れたとは思わない」とみる。
 破局的な大災害を乗り切る政治の理想型は何か。答えは今も見つかっていない。(敬称略。肩書は当時)


2016年02月29日月曜日


先頭に戻る