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<山川健次郎>「教育の裾野拡大を」手帳発見

今回見つかった山川健次郎の手帳の冒頭部分
山川健次郎

 物理学者で東京帝大総長などを歴任した元白虎隊士山川健次郎(1854〜1931年)の手帳が遺族宅で見つかった。1907年ごろに視察した各地の教育機関の様子などが記してある。研究者は「日露戦争後、人材育成が急務になっていた当時の教育事情を知る貴重な資料」と評価する。
 会津藩士の家に生まれた山川は米エール大で学んだ後、東京帝大理学部で物理学を教えた。九州、京都両帝大の総長も務めた。
 手帳は07〜09年ごろの物とみられ、山川の研究者で秋田大教育文化学部の中沢俊輔講師(日本政治外交史)と青山学院大文学部の小宮京(ひとし)准教授(日本現代史)が発見した。
 手帳によると、山川は07年1〜2月に九州を訪問。長崎では、長崎高等商業学校(現長崎大経済学部)の校長から予算が1万5000円増えれば定員が120人増やせると聞き「目下専門教育機関欠乏し居れば是非決行し度ものなり」(1月23日)と賛同している。
 1月17日に訪れた熊本では、第五高等学校(現熊本大)の教頭排斥運動に加わっていた元会津藩士の養子となった学生を「人道にはづれたる事」と叱り、「侘(わび)状を出すべきよしを命ず」と書き記している。
 山川に関しては、13〜15年ごろと19、20年の日記の一部を書き写した文書が秋田県公文書館に残る。今回発見された手帳はそれよりも前の時期で、05年12月に東京帝大総長を辞任後、各地を視察していた足取りを裏付ける資料となる。
 中沢講師は「手帳からは、山川が現場を視察した際、どこに関心を持ったのかが分かる。教育の裾野を広げる必要性を痛感したことが、09年の明治専門学校(現九州工業大)の開校につながっている」と説明する。
 明治末から昭和初めにかけての山川の講演録や原稿をまとめた「遺稿」も見つかった。教育関係が中心の「男爵山川先生遺稿」(37年出版)にほとんど盛り込まれていない時事問題やプライベートに関する記述が多く、会津にも触れているという。中沢講師らが今後詳しく分析する。
 手帳の内容は、28日発行された青山学院大の学術紀要「青山史学」で紹介されている。


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2016年02月29日月曜日


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