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<あの時政治は>抗争の末 12兆円補正成立

がれきに埋もれた被災地。政治の混迷は復興の歩みを鈍らせ、被災地には不信感が広がった=2011年4月、宮城県南三陸町志津川(写真は加工しています)

◎震災5年(中―2)泥沼の補正

 「復興が遅い」。がれきに埋もれた被災地には、政治への不満が渦巻いていた。初夏を迎えても、政府与党の動きにスピード感はなかった。
 復興の青写真を描く政府の復興構想会議は4月11日に発足した。6月をめどに被災地の未来像や必要な立法・予算措置をまとめる役割を担った。「復興をどうするかという議論をお願いしている途中で、予算付けをするわけにはいかない」。財務相だった野田佳彦は、今も原則論を口にする。
 地元・気仙沼市が壊滅状態になった自民党宮城県連会長小野寺五典(衆院宮城6区)は歯がみする思いだった。気仙沼での光景が忘れられない。会議議長五百旗頭真らが宮城県入りした5月4日。壊滅した魚市場を訪れながら、一行はバスから降りることはなかった。「だから体育館に寝ている避難者がいる時、鎮魂の森などという話が出てくる。復興構想会議が復興の妨げになっている」
 提言は6月25日に決定した。復興財源として臨時増税を明記。3日後、政府は復興基本方針を検討する震災復興対策本部を初めて開いた。
 臨時増税の規模は10兆円とされた。党内抗争が再び始まった。反発する勢力は勢いを増し、政府に削除要求を突き付けた。政権末期の菅に、もはや反対論を抑える求心力はなかった。
 9月2日、野田内閣が発足した。数日後、東京・赤坂プリンスホテルに野田ら政府与党と財務省の幹部が集結した。財務相安住淳(衆院宮城5区)が切り出す。「足の長い財源が必要だ。国民も所得税と法人税の増税を理解してくれる」
 政権発足直後の世論調査では、6割近くが復興増税に賛成だった。菅が去り、与野党の対決色は小康状態だった。財源がやっと固まった。
 震災発生から8カ月。本格復興に向けた総額12兆円の第3次補正予算が成立した。
 安住は「8月にお金を与えても各自治体は復興計画ができていなかった。遅れたというのは政治的悪口だ」と言い切る。復興対策担当相平野達男(参院岩手選挙区)は「遅いと言われれば遅かった」と受け止めつつ、「政権の最大の失敗は、復興のさなかに政争をしてしまったこと。政治家としての姿勢が問われた。疑われた」と回顧する。
 悪夢の年が暮れていった。被災地に刻み込まれた記憶。それは「決められない政治」だった。(敬称略。肩書は当時)


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2016年03月01日火曜日


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