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<あの時政治は>復興どころではなくなった

◎震災5年(中―1)泥沼の補正

 復興予算は2011年度、4次にわたる補正で編成された。2次は十数兆円規模が見込まれたが、菅直人首相の福島第1原発事故対応への野党の批判、財源をめぐる民主党内の内紛で縮小。本格復興予算の成立は、11月21日だった。
 死に体の政権が迷走を始めた。
 「こんな中途半端なことをして、大事なことが先送りされては本末転倒だ」
 6月16日、財務省。定例記者会見の席上、財務副大臣桜井充(参院宮城選挙区)は批判の切っ先を首相菅直人に向けた。
 菅は5月、桜井らへ2兆円規模の第2次補正予算案編成を指示した。省内では本格復興に向けた10兆円超の大型補正予算案の編成に動きだしていた。ようやく見えてきた復興の道筋。そこに降って湧いた、いわば「1.5次補正」。段取りは狂った。
 5月の大型連休明けだった。津波の爪痕が生々しい被災地に、財務事務次官勝栄二郎ら省幹部が立った。阪神大震災を基に復興の枠組みを作ろうとする省内の空気に桜井はいら立っていた。「阪神とは違う。自分たちの目で被災地を見てこい」。視察を終えた勝らは「東京で議論しても意味がないことが分かった」と報告した。
 潮目が変わった、と桜井は感じた。本格補正へ財務省の作業は加速していた。
 閣内にいる桜井が酷評した2次補正には、「6月政局」が複雑に絡み合っていた。
 自民党など野党は、菅を完全に見限っていた。5月下旬、野党は内閣不信任決議案の検討に入った。国会は政局一色になる。
 大規模補正を渇望する被災地を尻目に、民主党内の抗争も勃発した。元代表小沢一郎(衆院岩手4区)らは不信任案同調を示唆。もはや、復興どころではなくなった。
 6月2日、不信任案が衆院に提出された。採決前、菅は退陣の意向を表明。小沢らは採決を棄権、分裂は寸前で回避された。
 2次補正は、菅に残された数少ない延命のカードだった。閣議決定の当日、復興対策担当相松本龍は、宮城県知事村井嘉浩らへの放言をめぐり辞任した。(敬称略。肩書は当時)


2016年03月01日火曜日


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