福島のニュース

<あの時政治は>野田「言葉足らずだった」

◎震災5年(下―1)「収束」の虚実

 野田佳彦首相は2011年12月16日、東京電力福島第1原発事故に関し「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った」と表明。事故収束への工程表「ステップ2」完了を宣言した。原発被災者は激しく反発した。

 誤解と矛盾に満ちた政治宣言だった。
 「何が収束宣言だ。本当に現場を見て、そんなことを言っているのか」
 原発事故で2万1000人余りの全町避難を強いられた福島県浪江町。町長馬場有は、開いた口がふさがらなかった。
 除染、賠償、健康管理。馬場は政府や東電と連日のように激しくやり合っていた。「やっぱり事故は終わったんだと。避難した住民が戻るためには、安全だと言いたかったのだろう」
 地元無視の詭弁(きべん)−。古里を追われた避難者約16万人の政治不信は増幅した。馬場は直ちに二本松市の仮役場で記者会見し、政府批判を展開。福島県議会は撤回を求める意見書を全会一致で可決した。
 政府にとっても、「収束」宣言は危険な賭けだった。野田に直言したのは、原発事故担当相細野豪志。
 細野の脳裏には、24時間体制で原子炉の冷却や汚染水対策に当たる3000人の作業員の姿があった。現場は疲弊していた。「どこかでモードを切り替える必要がある。原発がもう大変な状態にならないと宣言しない限り、理解はされない…」
 政府と東電の計画は、原子炉の「冷温停止状態」を11年内に目指すとした。炉内の温度が100度以下。放射性物質の新たな外部放出の大幅抑制。「収束」は、数々の判断条件をクリアしてはいた。
 野田は言う。「冷温停止状態に至った事実に基づいた一つの大きな節目。日本は少しずつ問題解決をしているという国際社会へのメッセージの意味合いもあった」。釈明の後、悔いにも聞こえる思いを吐露した。「『収束』という言葉を『全て解決』と受け取ってしまう人が出た。言葉足らずだった」(敬称略。肩書は当時)


2016年03月02日水曜日


先頭に戻る