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<アーカイブ大震災>児童半減 存続の危機

この夏初めてのプール授業にはしゃぐ子どもたち。児童の減少で以前よりプールが広く見える=2011年7月13日、宮城県気仙沼市浦島小

 東日本大震災の影響で、宮城県気仙沼市浦島小の児童数は年度当初見込みの24人から、13人にほぼ半減した。自宅を失うなどした児童たちが、避難所や仮設住宅に近い市内の別の学校に転校したためだ。入学予定だった児童も他校に移り、1年生はゼロ。各学年の児童数のアンバランスから、学校は変則的な複式学級での授業を余儀なくされている。市内で最も児童数が少ない学校になったことで、地域には統廃合への警戒感も高まっている。

◎学校で何が(11)自宅被災、相次ぐ転校(気仙沼市浦島小)

 「バタ足でこんなに泳げた」「気持ちいい」
 青空が広がった2011年7月13日、浦島小の2・3年生がこの夏初めての水泳の授業に歓声を上げた。児童はわずか3人。25メートルプールが広々と見える。
 高台にある浦島小は3月11日の津波被害を免れたが、学区内の海沿いでは、ほとんどの住宅が全半壊。多くの住民が親類宅に身を寄せたり、他学区の仮設住宅に入居したりしたため、児童11人がそれぞれ市内4校に転校していった。
 現在の2・3年生も年度当初の見込みでは計7人となる予定だったが、4人が転校したという。
 3年生の小野寺夏音さん(9)は「友達が少なくなって寂しいけど、学校は楽しい」と話す。担任の熊谷理恵子教諭は「休み時間には、今も転校した友達の話がよく出るんです」と言う。

 現在の学年別児童数は6年生4人、5年生5人、4年生1人、3年生2人、2年生1人。
 6年生を1学年1学級としているほかは、4・5年生と2・3年生を複式学級にしている。複式学級は低、中、高学年と分けるのが一般的だが、児童数のバランスで、そうせざるを得なかった。
 変則的な編成のため、現場の教員も試行錯誤の連続だ。2.3年生のクラスでは、担任が2年生に「生活科」を教える傍らで、他の教員が3年生の「理科」を別教室で指導。音楽では2年生に鍵盤ハーモニカ、3年生にリコーダーを同時並行で教えることもある。

 転校した仲間と再び一緒に学んだり、遊んだりできることが、教員や保護者の共通の願いだ。
 同校は毎年10月、学芸会で、郷土に伝わる「小々汐(こごしお)太鼓」を全児童で披露してきた。太鼓の一部は津波で流失したが、秋までに新調する予定だ。
 林崎秋彦校長は「開催時期は遅れるかもしれないが、転校した児童にも呼び掛け、みんなで復活させたい」と意気込む。 浦島小父母教師会の小松広明会長(46)も「バスやジャンボタクシーを運行させ、仮設住宅や避難所の子どもを浦島小に通えるようにしてほしい」と6月以降、市に要望を重ねている。
 しかし、学校周辺には今もがれきが残り、高潮のときには道路の一部も冠水する。通学路の安全確保が難しいなど、実現に向けた課題は多い。
 保護者らが児童数の回復を強く願う背景には、「現状のままでは廃校になる」との危機感もある。
 市はことし1月、小規模校の統廃合を視野に小中学校の再編を考える検討委員会を設置。浦島小の校舎は1962年の完成で老朽化が進んでいたため、地元では震災前から、統廃合を心配する声が上がっていた。
 孫2人が浦島小に通う尾形セキヨさん(66)は「学校が高台にあったから多くの住民が避難できた。安全を確保し、地域の絆を強める核として必要性はむしろ高まった」と存続を訴えている。(田柳暁)=2011年7月19日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月03日木曜日

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