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<東北再生>100年先見据えた議論を

首藤伸夫氏

◎再生委員に聞く/東北大名誉教授 首藤伸夫氏(81)

<地元に委ねる>
 この5年間、東日本大震災の被災地では、防潮堤の復旧やかさ上げをめぐる議論、つまり、住民の命や財産をどう守り、津波の教訓をどう伝えていくかという議論が繰り返されてきた。
 ただ、その結果導き出された結論が本当に有効かどうかは、慎重に見極める必要がありそうだ。
 1968年の十勝沖地震津波では、規模の比較でたまたま防潮堤が津波に勝っていたため、被害を最小限に食い止めることができた。津波と防潮堤の優劣は相対的な関係でしかないのに、この時から「災害に構造物が有効」という考え方が定着してしまった。
 構造物頼みは誤りだと言っているのではない。造るのなら100年、200年先まで維持管理する仕組みを考えなければならない。造らないのなら100年、200年先まで教訓を伝える覚悟が求められる。復興の議論には、この視点が欠けていたのではないか。
 本来、国の役割は復興財源の保証にとどめ、構造物による津波対策か、それとも構造物は最小限にとどめて高台に移転するか、財源の使い道は、地元住民の判断に委ねるべきだった。
 最初にルールを決めておけば、もっと建設的な議論ができたし、自治体職員が国の方針と住民意思の板挟みで悩むこともなかった。

<「逸話」どこへ>
 昨年制定された国連「世界津波の日(11月5日)」は、安政南海地震(1854年)の大津波と、世界的に有名な「稲むらの火」の逸話に由来する。積まれた稲わらに火を付けて人々を高台に誘導した和歌山県広川町がその舞台だ。
 ところが広川町は堤防前の海を埋め立て、そこに防災拠点の町役場を移転してしまった。南海トラフ巨大地震の津波で真っ先に水没するだろう。
 どうしてこういうことが起きるのか。東北再生への提言は今後、人の心の移り変わりを食い止める仕組みの提案に踏み込むべきだ。
 史料をひもといても、今回の震災で見られた黒いヘドロ津波は記録にない。日本人が海をいじめてきた証拠だ。水産業、水産加工業の復興は堅調とされるが、世界三大漁場に数えられる三陸の海を守らなければ元のもくあみとなる。
 仙台平野の農業を再生させるにも化学肥料を多用すれば再び海が汚れる。再生可能エネルギーの普及も大量の太陽光パネルで覆われた地表に生物は育たない。
 集中復興期間が終わるこのタイミングで、ばらばらに進められてきた復興の各論を体系的に組み立て直す作業が必要だろう。

◎河北新報社提言
 【安全安心のまちづくり】
(1)高台移住の促進・定着
(2)地域の医療を担う人材育成
(3)新たな「共助」の仕組みづくり

 【新しい産業システムの創生】
(4)世界に誇る三陸の水産業振興
(5)仙台平野の先進的な農業再生
(6)地域に密着した再生可能エネルギー戦略
(7)世界に先駆けた減災産業の集積
(8)地域再生ビジターズ産業の創出

 【東北の連帯】
(9)自立的復興へ東北再生共同体を創設
(10)東北共同復興債による資金調達
(11)交通・物流ネットワークの強化

[しゅとう・のぶお] 1934年、大分市生まれ。東大工学部卒。旧建設省、中大教授などを経て77〜98年、東北大工学部教授。専門は津波工学。第55回(2006年)河北文化賞受賞。


2016年03月03日木曜日


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