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<アーカイブ大震災>通学、部活…負担重く

スクールバスに乗り込む梶原君=2011年7月14日午前6時ごろ、宮城県気仙沼市唐桑町

 宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高(生徒344人)は、東日本大震災の津波で校舎が大きな被害を受けた。現在、産業経済科は気仙沼西高(気仙沼市)、情報海洋科は本吉響高(同)、機械技術科は米谷工高(宮城県登米市)に分かれて授業を受ける。校舎分散によって通学に長時間かかったり、部活動のために学校を移動したり、生徒は不自由な学校生活を余儀なくされている。

◎学校で何が(12)生徒3カ所に分散(宮城・気仙沼向洋高)

 まだ人影もまばらな午前6時すぎ。気仙沼市唐桑町の福祉施設前の停留場で、梶原初城君(15)は眠そうな表情でスクールバスに乗り込んだ。
 気仙沼向洋高の機械技術科1年。毎朝午前5時に起床し、自宅から50キロ以上離れた米谷工高に、スクールバスで通っている。
 父母と祖母、妹の5人暮らし。「早く手に職を付けたい」と、実業高の向洋高を志望した。将来は自動車関係の工場で働くのが夢だ。
 しかし、希望に包まれるはずの高校生活は、入学式前につまずいた。学校は震災で津波をかぶり、校舎は全壊。授業開始は2011年5月上旬まで遅れた。
 さらに、向洋高が科ごとに分散したため、通学先は同校から20キロ以上離れた米谷工高に代わった。向洋高であれば1時間程度だった通学時間は、倍の2時間になった。

 午前8時、スクールバスは米谷工高に到着した。梶原君は「バスに2時間も揺られると正直疲れる。少しずつ慣れてきたとはいえ、やはり学校は近くにある方がいい」とつぶやいた。
 学校分散は、部活動にも影を落としている。
 午後5時の気仙沼西高グラウンド。向洋高ラグビー部の生徒ら約30人がパスの練習を始めた。米谷工高や本吉響高で授業を受けた後、部活動のために、バスで駆け付ける部員を待ってスタートする。震災前より1時間半も遅い始動だ。
 昨年の県大会で4強に勝ち進んだ強豪だが、ことしの練習量は少なめ。西高の生徒も練習しているため、グラウンドを広々と使うわけにもいかない。
 週5日実施していた平日の全体練習は、週3日に減らした。練習後に車で迎えに来る保護者の負担を減らすための措置だ。残る2日は、各自が筋力トレーニングを行うように指導している。
 顧問の舩引裕介教諭は言う。「保護者に毎日車で迎えに来てもらうわけにはいかない。こちらは間借りしている立場なので、限られた時間とスペースで効果的な練習を心掛けている」

 学校は三つに分かれても、生徒たちの思いは一つだ。生徒会執行部が6月、ことしの体育祭について(1)各校で参加するか(2)向洋だけで実施するか―をアンケートしたところ、(2)が89%に達した。
 生徒からは「一つの高校なので、向洋だけで思い出をつくりたい」「今はバラバラになっているけれど、みんなそろってやりたい」などの声が相次いで寄せられた。
 武田元彦教頭は「各校に分かれても、向洋を思う生徒の思いはひしひしと感じる。文化祭を含め、一つにまとまるイベントを何とかして成功させたい」と語る。
 11月、向洋高は気仙沼高(気仙沼市)の第2グラウンドに2階建ての仮設校舎を建設し、再出発する。分散した三つの科は1カ所に集まり、再び元の形に戻る。
 学校分散に区切りがつくことが、梶原君の当面の夢だ。
 「産業経済科にも情報海洋科にも友だちはたくさんいる。いつでも自由に会えるようになるよう、早く校舎が完成してほしい」(神田一道)=2011年7月20日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月04日金曜日


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