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<3.11と今>妻が育てた花 新居に

新居への引っ越しに備え、京子さんの形見の鉢植えを手入れする誠さん=2月24日、多賀城市
植物好きな京子さんは、仮設住宅に設置されたゴーヤのプランターもまめに手入れしていた=2011年7月15日、多賀城市

◎追憶 大切なあなたへ(2)大場誠さん=多賀城市

 東日本大震災で被災した宮城県多賀城市の仮設住宅に暮らす大場誠さん(71)は、朝目覚めると寝室のポトスの鉢に声を掛ける。
 「おはよう」
 長く伸びた緑の観葉植物は、2014年6月に自ら命を絶った妻京子さん=当時(68)=が大切に育てていた鉢植えの一つだ。
 「やっぱり植物は生き物だ。話し掛けているせいか、よく育つんだ」
 自宅は市内沿岸部の宮内地区にあった。看護師の仕事を定年まで勤め上げた京子さん。庭でバラや山野草を丹精込めて育てていた。穏やかな暮らしを震災が奪った。
 大津波警報を聞いて避難したイオン多賀城店の屋上から、津波が辺り一面をのみ込んでいくむごたらしい光景を目にした。
 自宅は全壊。ご近所とは離れ離れになりコミュニティーも失った。自宅跡地は再建の見通しが立たない状態が続いた。

 京子さんは仮設住宅の軒先でもプランターや鉢植えの花を育てた。かれんな花々はいっとき心を和ませるが、気持ちは晴れない。
 狭い仮設暮らし。憔悴(しょうすい)しきった状態に陥り眠れなくなった。愛犬のシバイヌも高齢で弱ってきた。「死にたい」「生きていても仕方がない」とつぶやくことが増えた。
 誠さんは気まずい雰囲気に耐えられず、出掛けると帰宅の足が徐々に鈍っていった。
 震災から3年3カ月後、京子さんは愛犬を抱いてタクシーで仙台港に向かい、海に身を投げた。
 生きる気力を失う中で身辺を整理しようとしたのだろうか、遺影用の写真を探しても大半が処分されていた。亡くなる前の様子や睡眠導入剤など服薬の状況から、市から災害関連死と認定された。
 「震災で助かった命なのに、救えなかった」
 仏壇の前で、誠さんの自問自答の日々が続いた。絵筆を執って仏壇に供えた花を描いたり、写経をしたり。お供えの花は絶やさない。「菊は大嫌い。仏壇に供えないで」。生前の言葉を約束として守っている。

 土木関係の仕事の経験を買われ、誠さんも技術者として携わった地元での復興土地区画整理事業は、京子さんが亡くなった1年半後に本格的に始まった。ことし夏には以前の自宅から南に約20メートル先に新居が完成する。
 年齢を考え、震災前は近くに住んでいた息子一家と同居することにした。孫たちはシバイヌを飼うのを楽しみにしている。仮設を出た後の新しい暮らしが始まるまで、命を絶たずにあと2年待ってくれていたらと思うと悔しい。
 それでも前を向く。引っ越しの際は、京子さんが大切に育てていた20鉢ほどの植物も連れていく。
 「みんなで家に帰ろうな」。バラ、クリスマスローズ、ローズマリー…。油にまみれたがれきの中から2人で救い出すなどした、思い出の詰まった植物だ。
 花の名前もだいぶ分かるようになった。京子さんが成長を楽しみにしていた孫たちの学校への送迎を、心の支えにする。
 震災から5年。京子さんの好きだったフクジュソウが、ことしも見頃を迎えた。(佐藤素子)


2016年03月05日土曜日

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