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<3.11と今>ぬくもりを伝えたい

津波で亡くなった父の思いを胸に、警察官としての成長を誓う内海さん(左)=2月17日、登米市

◎追憶 大切なあなたへ(3)内海将太さん=宮城県警佐沼署巡査

 「お元気ですか。お変わりないですか」
 宮城県警佐沼署の中田交番に勤務する巡査内海将太さん(24)が、宮城県登米市の災害公営住宅で、高齢者にさりげなく声を掛けた。
 「あの日」を境に人生を狂わされた人たち、特に大切な人を失った被災者に注ぐまなざしは、限りなく優しい。
 「肉親を失った同じ被災者として、親身になって話を聞けると思うし、そう心掛けている。被災者に寄り添い、役に立ちたい」

 東北学院大1年の時、父親の善信さん=当時(51)=を東日本大震災の津波で失った。仙台市宮城野区蒲生の実家は濁流にのまれ、土台だけになった。
 2011年3月11日。自宅から避難した中野小の屋上から見下ろすと一面は海。悪夢の夜が明けると、がれきの山が広がっていた。余震はひっきりなしに続いていた。
 母親の幸子さん(55)が4キロ離れた鶴巻小に避難していることを知り、翌朝、泥まみれで向かった。途中、高さ2メートルのがれきの山が立ちはだかった。
 「大丈夫ですか?」。差し出された手をつかんだ。がっしりとして頼もしかった。道を切り開いていた宮城県警の警察官だった。
 不安と恐怖の一夜を過ごし、初めて感じた人のぬくもり。「心の底からほっとした。人に安心感を与えられるすごい仕事」
 憧れが進むべき道を照らし出した。
 震災から3週間後、父の遺体が見つかった。学校に一緒に避難したはずだった。リフォーム業の事務所を兼ねる自宅の様子が気になり、戻ったと後で聞いた。「とにかく見つかって良かった」。悲しみを振り切ろうとしたが、深い喪失感に襲われた。
 無口な父だった。それだけに一言一言が重かった。高校2年の冬、大学進学に備え、硬式野球部を退部すると口にすると、「そんなことで辞めるのか」と一喝された。
 「会社をやっていなければ警察官になりたかった。やりがいのある仕事だ」。就職活動中、最後に背中を押してくれたのが、在りし日の父の言葉だった。

 14年4月、宮城県警の門をたたいた。県警察学校で厳しい訓練に耐え、同年10月、中田交番に配属された。パトカーでの巡回、事件事故の対応、捜査書類の作成に追われる日々。「仕事のできる人になりたい」と目を輝かせる。
 母から最近、「成長した」と褒められるようになった。身長は172センチ、体重は74キロで大学卒業時から5キロ増えた。がっしりしていた父親に似てきたと自覚している。
 「災害の時、住民に安心感を与えられるようになりたい」
 あの日、感じた手のぬくもりを人に伝えられる警察官になる−。秘めた思いを胸に、父の墓前に誓う。(吉江圭介)


2016年03月06日日曜日


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