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<あなたに伝えたい>ひ孫3人に会わせたかった

弘さんの写真を見ながら思い出話をする和子さん(左)と弘恵さん=多賀城市内

◎柴田和子さん(宮城県利府町)、宮本弘恵さん(大崎市)から遠藤弘さんへ

 柴田和子さん(50) 父が住んでいた明月地区は土地が低く、過去に2度の水害を経験していました。津波も同じ感覚でみていたのか、大丈夫と思ったようです。素直に戻っていれば、今ごろ3人のひ孫を抱くことができたのに。残念でなりません。
 宮本弘恵さん(48) 父は現役時代はタンクローリーの運転手をして娘3人を育ててくれました。当時は夏休みに県外に出る用事があると、よく子どもたちを乗せてくれました。
 にぎやかなことが好きで、町内会などの役員も引き受けていた。野球やソフトボールが好きで、私はよく練習について行きました。息子が欲しかったようで、つきあい始めたころの夫を父に紹介すると大喜びで、私抜きで2人で出掛けたこともありました。
 和子さん 父は豪快で「昭和のお父さん」とも言える人でした。裕福ではなかったけれど、私たち姉妹3人は心豊かに育ててもらいました。
 弘恵さん 一方で気が短く、周囲に迷惑を掛けることも多かった。50歳前に母と離婚してからは、近所の皆さんに気遣っていただき、感謝しています。最後の姿も多くの人が目にしていて、私たちが知ることができました。
 和子さん 震災直前は孫たちも大きくなり、父と会う機会が減っていました。もっと孫と会わせればよかった。父の不在は、今でも信じられません。どこかで生きていて、ひょっこり姿を現すのではないかと、みんなで話しています。(日曜日掲載)

◎心豊かに育ててくれた「昭和のお父さん」

 遠藤弘さん=当時(69)= 多賀城市明月の自宅で1人暮らしをしていた。震災発生後、近所の人と自宅近くのマンションに避難したが、「忘れ物をした」と周囲の制止を振り切って取りに戻り、津波にのまれた。近くに住む弟邦夫さん=当時(67)=も犠牲になった。和子さん(50)は弘さんの長女、弘恵さん(48)は次女。


2016年03月06日日曜日


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