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<仙台いやすこ歩き>(30)和菓子/自由な発想優雅さ醸す

 桃や桜の名を聞くと、がぜん和菓子が恋しくなる。甘い物に目がない画伯と、一足早い春気分を道連れに、足取り軽く「和菓子まめいち」へ。
 仙台市青葉区本町の雑居ビルの2階。迷いながらたどり着いたいやすこ2人を、和菓子職人の幾世橋陽子さん(40)が優しい笑顔で迎えてくれた。紫色の手ぬぐいをきりりとかぶった作務衣(さむえ)姿が、白いすっきりとした空間によく似合う。
 奥にテーブル席があり、店内で和菓子が食べられる。窓の向こうに、淡い春色めいた空が広がり、本当に爽やかな店だ。
 カウンターには手作りの和菓子たちが並び、小さなガラスケースの中にはひときわ愛らしい和菓子が鎮座している。「この三つは月ごとに変わるんです。2月は『うぐいす餅』と『All you need is Love(愛こそはすべて)』と『SAVOY TRUFFLE(サヴォイ・トラッフル)』。二つはビートルズの楽曲名から名付けました」と笑って、その理由を話してくれた。
 和菓子を考えるとき、妄想するのだそうだ。卵を見ていたら石に見えてきて、宇宙へと誘われ、土星へと旅に出る。そして地球に帰ってきてラジオをつけたら、ビートルズの「All you need is Love」が流れていた。妄想の旅はここに着地したというのだ。
 何か楽しい。そこから生まれた和菓子は、ルビーのひとしずくのような優雅さと言おうか、赤ちゃんのほっぺのいとしさと言おうか。「わぁ〜、食べるのもったいないね」といやすこらしからぬ一言。
 幾世橋さんが和菓子職人を目指したのは、高校2年の時。「ふと目にしたテレビで、日本の伝統文化が失われていくと言っていたんです。紹介されていた文化の中で和菓子なら私もできると思い、次の日には学校の先生に話していました」
 ピュアな思いを募らせ、高校卒業と同時に京都での修行へと向かう。「一を聞いて十を知れ」と言われても、その一が分からない。毎日泣きながらの修行だった。そんな話をする幾世橋さんの傍らで、お母さんがにこやかにうなずいている。
 そして5年。和菓子製造作業2級技能士の資格を取って仙台に帰ってきたが、すぐには和菓子作りの道は開けなかった。数々の紆余(うよ)曲折を経て、ようやく昨年11月15日にこの店をオープンさせた。
 「この日は伊達政宗が元服した日なんです。これから和菓子道をまい進するぞと思って」。口元をきゅっと引き締めた幾世橋さんの目の輝きは、きっと二十数年前と同じに違いない。
 工房で包餡(ほうあん)の作業を見せてもらった。指の一本一本、手のひらも甲も自在に使いこなす。人間の手って、何てすごい道具なんだろう。
 店には若い男性や赤ちゃんを抱っこしたお母さん、女子高校生が次々とやって来る。おいしい笑顔に出会えるように、という思いで作られる和菓子に、幾世橋さんのお父さんがいれた抹茶が添えられ、ゆっくりと温もっていく一人一人。お母さんの胸ですやすやと眠る赤ちゃんのほっぺは、ふわふわの春色だ。
 3月、すてきな妄想から生まれた新たな和菓子が待っている。

◎木の実のだんごが始まり

 和菓子とは日本固有の菓子であり、その始まりは縄文時代にさかのぼる。原形は果物や木の実であったといわれ、木の実を使っただんごが生まれた。以来、平安時代には「枕草子」や「源氏物語」に、季節の行事や人の成長の節目を祝うものとして菓子が登場するほどまでに定着。鎌倉〜安土桃山時代は、茶の湯文化とともに、特に上菓子が多彩に発展した。
 長い歴史の中で、海外からの食文化の影響も受けた。飛鳥〜平安時代は遣唐使がもたらした唐菓子、鎌倉時代は中国から伝来した点心。ようかんは点心に由来したものである。安土桃山時代には、ポルトガル人などによってもたらされたコンペイトーなどの南蛮菓子が、和菓子に取り込まれていく。
 広がりを見せながら、また日本人の感性により洗練の度合いを深めながら、和菓子は芸術品へと進化してきた。近年、海外では和食とともに和菓子も注目を集めている。(参考=虎屋文庫「和菓子の今昔」「和菓子の歴史」)



 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2016年03月07日月曜日

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