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<3・11と今>遠くで独り逝った母

夫の富夫さんと日課の愛犬の散歩をする美枝子さん(右)=2月20日、南相馬市原町区
初孫の結婚式に出席した井戸川カツエさん(手前左から2人目)=1977年ごろ

◎追憶 大切なあなたへ(4)国分美枝子さん=南相馬市

 見知らぬ土地で、誰にもみとられずひっそりと逝った母。子や孫に囲まれ、最期を迎えられるはずだった。なのにどうして…。
 東京電力福島第1原発事故で避難生活を送る国分美枝子さん(68)はこの4年半、母親を独りで死なせてしまった後悔と寂しさが頭を離れたことはない。
 母の井戸川カツエさんは2011年9月28日、古里の福島県南相馬市小高区から遠く離れた山形県天童市の病院で生涯を閉じた。98歳だった。
 カツエさんは夫とともに祭りの露店や雑貨の行商で生計をたて、1男3女を育て上げた。一度言い出したら後に引かない勝ち気な一面もあったが、陽気な性格で子どもには優しかった。国分さんは末っ子で、特にかわいがってくれた。
 仕事を引退し、小高区で長男一家と暮らしていた。盆や正月に親戚が集まるのが好きだった。カラオケが始まると手拍子を取り、みんなの歌声をテープに録音した。楽しい時間をかみしめるように何度も繰り返し聞いていた。原発事故の2年ほど前に特別養護老人ホームに入居してからも、子や孫が訪ねて来るのを楽しみにしていた。

 原発事故で夫や生後1カ月の孫らと共に小高区から福島県南会津町に避難した国分さんが、カツエさんと再会できたのは4月になってからだった。横浜市の施設にいったん移った後に落ち着いた山形県中山町の宅老所に会いに行った。
 「生きていてくれて良かった」。胸をなで下ろしたのもつかの間、話し掛けても会話がかみ合わないことにすぐに気付いた。やつれた様子で、歩くこともままならなくなっていた。
 衰弱はさらに進み、寝たきりとなって天童市の病院に入院した。南会津町から天童市まで車で片道2時間半。国分さん自身も先行きの見えない避難生活に悩み、苦しんでいた。見舞いにはなかなか行けなかった。
 11年の秋、天童市により近い会津若松市に引っ越した。「近いうちに見舞いに行こう」。夫と話し合っていた直後、訃報が飛び込んできた。
 全国に散らばって避難した母の知人や親戚と連絡が取れず、葬式もできなかった。納骨に立ち会えたのは、兄と自分だけだった。

 国分さんは今、南相馬市原町区の借り上げ住宅に夫と2人で暮らす。以前のように家庭菜園もできず、近所に知り合いもいない。
 家にこもっているとストレスがたまるので、犬の散歩で毎夕、近所を歩く。週2回、バドミントンで汗を流すのも楽しみだ。体を動かしていれば、何も考えなくていい。
 南相馬に戻り、ようやく落ち着いて墓参りができるようになった。自分が年を取ってからも、愚痴を聞いてくれた母。震災前までしょっちゅう会っていたのに、夢に出てきてくれたことはない。
(横山浩之)


2016年03月07日月曜日

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