宮城のニュース

<アーカイブ大震災>GSに車列 罵声と激励

震災翌日から一般向けの営業を休まず続けた一番町SS=3月12日午前10時ごろ、仙台市青葉区

 東北は東日本大震災の発生からしばらく、深刻なガソリン不足に陥った。物流の寸断と停電でガソリンスタンド(GS)は通常営業できず、開店待ちの車があちこちで大行列をつくった。給油を緊急車両に限定するGSが多かった中で、仙台市中心部の「一番町サービスステーション(SS)」は震災当日から1日も休まずに一般客にも対応した。車列が3キロにも達した店頭で、従業員は罵声も浴びながら懸命に作業に当たった。

◎苦闘 企業の前線(2)不休の給油(仙台・ガソリンスタンド)

 震災翌日の2011年3月12日、仙台市内の系列店から一番町SSの応援に駆け付けた豊岡正吾さん(35)は「在庫切れです」と伝えたドライバーに、「明日の朝のために並ぶんだ」と言い返された。
 一般向けのガソリンは底を突き、行列を作っているドライバーに解散してもらうつもりだった。
 この日、給油待ちの車列は東北大片平キャンパス近くの店舗を取り囲むように東二番丁通まで延びていた。「ガソリンがなくなるなんて、想像したこともなかった」と豊岡さん。事態の深刻さを実感させられた。

 「この店だけは、何とか一般向け営業を継続しよう」。一番町SSを経営する出光リテール販売東北カンパニー(仙台市)は震災当日に方針を決めていた。
 東北に34店を展開する同社は、日本海側の輸送ルートを使って1日16〜20キロリットルのガソリン入荷を確保。このうち1割以上は緊急車両向けだ。
 他店には一般車両向けの給油を拡大できないが、幸い災害対応拠点に位置付けていた一番町SSには2基の発電機が配備され、給油機を作動させられる環境にあった。
 翌日から通常5、6人のスタッフを、豊岡さんら系列店からの応援を含め20人規模に拡充し、緊急時の営業を始めた。
 東北経済産業局によると、3月16日時点で、一般向けに営業していたGSは宮城県内でわずか4店。ガソリン不足はパニックの様相を呈し始めていた。

 東北カンパニーの仙台地区担当エリアマネージャー小林弘幸さん(39)は毎夜、泉区の本社で一番町SSの対応をスタッフと協議した。「見通しが立たないから消費者は焦る。正確な情報を告知したい」とスタッフからアイデアを募った。
 翌日の給油可能台数や車の並び方を整理し、チラシや案内看板で表示。配布を始めた整理券は途中から来店時間を指定する方式に変更し、行列が減るように工夫した。
 小林さんは「案内看板もプラカード型から首掛け型にし、少しでも従業員が疲れないようにした。まさに改善の毎日だった」と振り返る。

 それでもガソリン需給の窮迫は続き、殺気立つドライバーも少なくなかった。「割り込みされた」などの苦情は1日20〜30件に上った。
 一番町SSのサブマネージャー亀谷俊明さん(39)は客に襟首をつかまれたこともあった半面、弁当や飲み物を差し入れてくれる客も現れるなど、うれしい経験もあったことを思い起こす。
 「つらいことも多かったが、感謝されることで元気が出た」
 販売が正常に戻ったのは震災から約1カ月後。この間の一番町SSの来店車両は計1万8500台、給油総量は400キロリットルで、いずれも昨年同期のほぼ倍に達した。
 東北カンパニー社長の小橋広二さん(57)は「車列ができても交通を妨げない道路環境と管理する人員体制がなければ緊急時の営業はできないと痛感した。一般客にも対応できる震災時の販売ルール確立も必要だ」と強調する。トップの実感は災害に備える業界全体の課題でもある。(斎藤秀之)=2011年7月25日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月09日水曜日

先頭に戻る