岩手のニュース

<3.11と今>不明の夫 いつも隣に

磨さんへの思いをカレンダーの裏につづる幸子さん=2月25日、陸前高田市
震災前、旅行に出掛けた幸子さん(左)と磨さん=2010年10月、長野県松本市

◎追憶 大切なあなたへ(6完)熊谷幸子さん=陸前高田市

 夫の声が聞こえたような気がした。
 <ままちゃん、頑張れっ、ふんばれっ。子供達(たち)がついて居るべっちゃ 磨(みがく)より>
 岩手県陸前高田市広田町の熊谷幸子さん(74)は、東日本大震災の津波にのまれ行方不明になった夫磨さん=当時(71)=を捜していた。
 震災から3カ月たった2011年6月11日。遺体安置所を巡って自宅に戻ったとき、その声が脳裏をよぎった。たまたま手元にあったカレンダーの裏に、フェルトペンで書き留めた。
 ときには隣町まで足を延ばして捜した。「きょうも見つからなかった…」。絶望のふちで自宅に戻り、「声」を書き留める。
 「磨さんが勇気づけてくれている」。捜し続ける力が湧いた。

 あの日、磨さんは市内の病院へ。幸子さんは友人に会いに岩手県大船渡市へ出掛けた。自宅は海に近い高台にあり被災を免れた。幸子さんが戻ったのは翌朝だった。
 「磨さんがいない」。集まっていた親類や近所の人が言った。病院から戻った後、寝たきりのお年寄りを助けるため、海寄りの家に下りていったらしい。
 幸子さんはカレンダーの裏にペンを走らせ、磨さんに話し掛ける。
 <大野海岸通り、変わりはてて戻ってこれなくなるのが心配です。でも72歳まですんでいたんだもの。大丈夫だよね>
 自宅近くの海岸周辺は更地が広がり、切り開かれた高台には真新しい住宅が建つ。磨さんに風景が一変したことを伝える。
 <2人で飲むことできないなんて自然はあまりにも無情。(中略)チャント立派に生活して生きて死を迎えること。それが私の復讐(ふくしゅう)>
 お酒が好きで、誕生日や結婚記念日には夫婦で街に出て祝杯を挙げた。1人では飲む気になれず、めっきり弱くなった。
 友人との付き合いは楽しいけれど、1人暮らしは単調だ。先のことはあまり考えず、この5年を懸命に生きてきた。

 大きな字で書き連ねると心が落ち着く。日々の出来事の報告、磨さんならこう励ますだろうという言葉−。夫婦の「会話」をつづったカレンダーは150枚を超えた。
 死亡届は出していない。「亡くなったことは受け入れているが、届けを出したら本当にいなくなっちゃう気がする」。東京にいる息子と娘も理解してくれている。曖昧なままでいいと思う。
 「退職した暁には、妻幸子と共に日本一周の旅行に行く事を約束します」
 10年の元日。その年末に退職を控えた磨さんが幸子さん宛てに手紙を書いた。「小樽の石原裕次郎記念館を見に行こうね」と笑い合ったことを思い出す。
 「いつもそばで見守ってくれている。きっと、いつか帰ってくる」
 少しだけ殻を破ってみよう。春になったら北海道を旅するつもりだ。磨さんの小さな写真を携えて。(太楽裕克)


関連ページ: 岩手 社会

2016年03月09日水曜日


先頭に戻る