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<アーカイブ大震災>大停電 基地局ダウン

東北一円の無線局・基地局の稼働状況を管理するオペレーションルーム=2011年7月25日、仙台市青葉区上杉1丁目のNTTドコモ東北支社

 東日本大震災で、携帯電話は広範囲にわたって使用不能になった。最大の原因は、過去の災害でもあった通話の集中による通信規制ではなく、電波を送受信する基地局の機能停止。巨大地震と津波による施設損壊に加え、長時間の停電が基地局の機能を奪った。NTTドコモ東北支社による復旧作業は、「携帯の盲点」とも言える大規模停電との格闘から始まった。

◎苦闘 企業の前線(3)携帯の盲点(NTTドコモ東北支社)

 仙台市青葉区上杉にある21階建てのドコモ東北のビル。8階「オペレーションルーム」では2011年3月11日の巨大地震直後、大型スクリーンに映し出される基地局名が、次々に赤く点灯しだした。
 「ネットワーク監視用モニター」と呼ばれ、無線局を含め約1万1000局に上る東北一円の基地局の稼働状況をリアルタイムで表示する。赤いランプは基地局が機能停止に陥ったことを示していた。
 同社災害対策本部副本部長を務めたサービス運営部長の深瀬和則さん(54)は「何をどう復旧すればいいか、糸口すら分からなかった」と言う。

 赤いランプは深夜にかけて刻々と増えていく。東北地方は大規模停電で真っ暗。基地局は電力なしでは動かない。
 地震と津波で施設が損壊した基地局に加え、停電時に作動する非常用バッテリーが、あちこちの基地局で切れていった。
 バッテリーの稼働時間は短いものでは数時間。災害時でも、今回のような広範囲、長時間の停電は想定されていなかった。
 「停電の解消見通しは不明」「壊れた基地局の修復と同時に、非常用発電機とそれに使う軽油の確保が必要だ」
 対策本部は復旧の優先順位を確認。全国の支社に軽油を手配すると同時に、東北各地のガソリンスタンドに電話し、営業している店舗に出先の社員を向かわせた。

 翌12日、機能停止した基地局は一時4900局に達した。子会社ドコモエンジニアリング東北の藤田孝さん(35)は正午すぎ、同僚と車で多賀城市内の基地局に急いだ。
 エリア内には第2管区海上保安本部(塩釜市)などがあり、復旧の最優先対象と判断された。
 渋滞に加え、津波で流された車やがれきが、行く手を阻んだ。カーナビで迂回(うかい)路を探し、たどり着いた時は夕暮れが迫っていた。
 1キロ余り離れた仙台港では、石油コンビナートが炎上。不気味なオレンジ色に輝く空の下で3時間半、非常用発電機の取り付けや稼働確認に追われた。
 その後も岩手、宮城両県の被災地に電源車を走らせ、基地局の復旧作業を続けた藤田さんの胸には今も、岩手県大槌町で出会った40代の男性の言葉が響いている。
 「待っていたんだよ。俺は津波で家も流され、車と携帯だけが残った。頑張ってほしい」

 「長時間稼働の非常用バッテリーの整備」「非常時の軽油確保」
 さらに復旧作業を通じて明らかになった課題があった。各地の避難者数などに応じて、移動基地局の車両をどう配置するかだ。
 サービス運営部の斉藤賢也さん(36)は「震災直後は、報道でもどこの避難所にどれだけの人々が避難しているか十分に把握できなかった。電源車で現地に入ったスタッフの情報が唯一の頼りだった」と打ち明ける。
 今や誰にとっても最も身近な通信手段となった携帯電話。深瀬部長は「緊急時のサービスを十分に提供するにはどうしたらいいか。対策を入念に行いたい」と語る。(熊谷吉信)=2011年7月26日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月10日木曜日

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