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<震災5年>避難強く言えば…消えぬ後悔

少女合唱団でピアノ伴奏する佐々木さん=5日、南相馬市

 東日本大震災の犠牲者をしのぶのは遺族だけではない。避難誘導に関わった人も、複雑な思いでこの5年を生きてきた。福島県南相馬市の元民生委員佐々木寛子さん(62)がその一人。「もっと強く言えば」「助かった命だったのでは」。後悔は今も消えない。
 佐々木さんは震災時、民生委員として沿岸部にある二つの行政区を受け持っていた。強い揺れを感じた後、高齢者や障害を抱えた地区民の家を訪問。路上で会った人にも避難を呼び掛けたが、担当エリア内で70人ほどが帰らぬ人となった。
 濁流が押し寄せたことは、避難所に到着してから知らされた。「津波なんて想像もしていなかった。知っていたらもっと強く呼び掛けることもできたのに」。どうしようもないと分かっていても、無力感で胸が苦しくなる。
 家族は全員無事だったものの、あの時、笑顔で応えてくれた住民も犠牲になった。「指定避難所に逃げてね」「分かったよ」。一人一人との最後の会話が忘れられないという。
 長く宮城、福島で音楽講師として働いてきた。愛用のピアノが自宅とともに流失したため、内陸部に再建した家に中古品を据え付けた。今でも犠牲者への祈りを込め、鍵盤に向かうのを日課にしている。
 「演奏中だけは住民とつながっていられる気がするんです」。弾く曲はピアニスト国府弘子さんの「忘れないよ」。もともと好きだったピアノの調べが、いつしか住民への追悼曲となった。
 担当していた行政区の一つが解散することになり、ことし2月に記念式典に招かれた。会場での演奏を依頼され、選んだ曲目は「忘れないよ」。だが、最後まで演奏することができず、途中で打ち切った。
 「感情がこみ上げてしまって…。年月が過ぎても悲しみは消えないんです」と佐々木さん。いつか、前を向かなければならないと分かっている。その時が来るまで、音楽を通して天国の住民と対話するつもりだ。


2016年03月10日木曜日

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