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<アーカイブ大震災>物流寸断 食品絶やすな

マイヤがテントを使って開いた仮設店舗。住民に物資を供給し続けた=2011年3月29日、岩手県陸前高田市高田町

 岩手県内を中心にスーパーを展開するマイヤ(岩手県大船渡市)は、東日本大震災で大船渡、陸前高田両市の6店のうち5店の休業を余儀なくされた。唯一、営業できたのは津波被害を免れた大船渡インター店。2011年3月11日、地震発生の1時間後に店頭での販売を始め、住民の暮らしをつないだ。物流ルートが滞る中、「地域スーパーを守ろう」という各方面からの支援が商品調達を可能にした。

◎苦闘 企業の前線(4)命つないだ1店舗(大船渡の地元スーパー)

 マイヤ商品部の河野俊則さん(60)は震災発生の翌日、3月12日の朝、一夜を過ごした陸前高田市の避難所から自分の車を出した。目指したのは北上市にある自社の物流センターだった。
 大船渡インター店には、購入客が殺到していた。在庫がすぐに尽きるのは目に見えた。
 大船渡湾に近い本社は津波で壊滅的な被害を受けた。発注システムはダウンし、通信手段も失った。「内陸部に行って、とにかく電話をかけるしかない」。北上で河野さんは東北の取引先に片っ端からダイヤルした。
 岩手県にはパン製造の白石食品工業(盛岡市)がある。「パンがあれば急場をしのげる」。両社には「何かあったら助け合おう」との約束もあった。
 白石食品に連絡は付かず、やっと電話がつながったのは盛岡市の菓子問屋だった。白石食品と取引がないのは分かっていたが、無理を承知で「パンを送るように白石さんに頼んでください」と受話器を手に頭を下げた。
 菓子問屋は社員を白石食品に走らせた。その日の午後、大船渡インター店に着いた1台のトラックにはパン約6000個が満載されていた。

 首都圏では12日未明から、ミネラルウオーターやカップ麺、ガスボンベなどを積んだ10トントラック3台が、大船渡に向けて相次いで出発した。
 商品を供給したのはシジシージャパン(東京)。マイヤなど全国の中堅・中小スーパーが加盟する協業組織、CGCグループの本部機能を担う。
 シジシーは地震発生直後、災害対策本部を設置した。東京に出張中だった東北地区本部(岩手県矢巾町)商品部のマネージャー山岸美昭さん(62)も加わった。
 マイヤの状況はつかめない。「どの店舗に商品を届けるんだ」。シジシーの物流部長から問われた山岸さんは「とにかく大船渡に」と求めた。
 CGCグループは1973年、オイルショックを受けて結成された。中小のスーパーが全国でまとまり、商品を安定的に供給するのが狙いだ。
 災害マニュアルは2004年の新潟県中越地震を教訓に改定され、「被災地と連絡が取れない場合でも物資を送り込む」と定めていた。

 卸やメーカーがガソリン不足などを理由に「商品を送れない」と言う中、シジシーから連日届く商品が、大船渡インター店の生命線になった。
 バイヤーも仕入れ先の倉庫に出かけて交渉するなど独自の努力を重ねた。苦境を知った隣県の地元企業が商品供給を申し出たケースもあった。
 大船渡インター店は3月15日、本格的な店内販売を再開し、乳製品や生鮮食品も並んだ。「内陸部より商品が豊富」。震災から1週間後、来店客からはそんな声が上がったという。
 マイヤは震災後、陸前高田市などで空き地にテントを張り、仮設店舗を開いた。津波被害を受けた5店が営業できない状況を補うため、8月4日には陸前高田市竹駒町に新店舗をオープンさせる。
 米谷春夫社長(64)は「中小が支え合うCGCへの参加と、地元取引先との信頼関係づくりが生きた。社員も奮闘し、ライフラインを守る使命を果たせた」と語った。(鈴木美智代)=2011年7月27日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月11日金曜日


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