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<震災5年>絶望と希望 1827日間

海と森を見渡す漁港のデッキに立つ畠山重篤さん(右)、信さん親子=気仙沼市唐桑町

 深い悲しみに包まれた。そこから一歩一歩、前に進んできた。東日本大震災で傷ついた被災地で、人々は支え合いながら懸命に生きている。涙も合った。笑顔もあった。

◎歳月重ねた わたしの思い きのう、きょう、あした

<恵みの海と生きる>
 「ミサゴがホバリングしている。魚を狙ってるぞ」。海と山が入り組んだ湾に笑い声が響く。宮城県気仙沼市唐桑町舞根地区のNPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さん(72)、信さん(37)親子はよみがえった自然を見渡した。
 津波で護岸が壊れて地下水が海に入り込みやすくなり、養殖するカキやホタテは成長が早い。被災した地区は70〜90センチ地盤沈下し、淡水と海水が混じり合う汽水域の湿地ができた。アサリやハゼ、水鳥など多様な生き物がすみつく。
 重篤さんは震災で最愛の母を亡くした。地区に防潮堤計画が持ち上がったが、高台移転する住民は「コンクリートの壁は必要ない」と撤回。重篤さんが湿地1ヘクタールを買い取り、環境教育のフィールドにした。
 この1年で国内外から約1600人が訪れた。「ここの自然こそが価値」と信さん。重篤さんは「生物が暮らすいい環境を残していけば、人はやって来て、地域に人が生きていける。コンクリは復興と真逆なものなんだ」と訴える。
 高台に25世帯の住宅が建ち始めた。「高齢化? 大丈夫だよ。恵みの海がある」。震災で強まった信念で復興をたぐり寄せる。

 教訓を未来へ−。宮城県女川町の庭足神社で女川中出身の高校生が「いのちの石碑」を囲む。中学時代から町内の津波到達点より高い所に9基を建て、各浜に計21基の建立を目指す。2014年春の中学卒業後に「女川1000年後の命を守る会」を設け、約15人で活動を継続。災害から命を守るための教科書づくりも進める。会長の阿部由季さん(17)は「震災の記憶を伝え続けたい」

 宮城県塩釜市の小泉善雅さん(41)は、浦戸諸島の桂島でカキ養殖を始めようとした矢先、大震災が発生した。打撃を受けた漁業者を支えようと1口1万円のオーナー制度を開始。全国の1万人以上から1億8700万円が集まる。資金は施設修繕や資材購入に充て、オーナーに海産物を送った。現在、カキやアサリをネット販売する「海の子net」代表。「松島湾の恵みを食べて、喜んでもらいたい」

 宮城県名取市閖上地区の高橋善夫さん(73)は美田園第1仮設住宅自治会長として住民の見守りを続ける。「みんなが家族だと思っています」と目を細める。津波で家族4人を失った。「なぜ自分だけ生き残ったのか」。苦しいときも住民の絆が支えになった。妻京子さん=当時(61)=は長く民生委員を務め、お年寄りを避難させようとして津波にのまれた。妻の分も、地域に尽くそうと決意している。

 青森県八戸市の三菱製紙八戸工場は、津波で300億円を超す被害が出た。当時工場長の金浜福美さん(66)は設備の復旧に追われた。供給が一時止まり競争力が低下したが、主力工場の製品を愛用し続けてくれる顧客に励まされた。今もグループ会社社長として工場に通う。「ペーパーレス化で収益的には厳しい時代。それでも復旧を果たした従業員たちは困難を乗り越える力を持っていると信じている」

 岩手県山田町でレストラン「ロカーレ・アーシャ」を営んでいた駒場利行さん(41)は新装開店の日に店ごと津波に流され、九死に一生を得た。娘2人は学校にいて無事だったが、妻の愛子さん=当時(30)=を失った。実家のある盛岡市に移り「山田の味を届けるのが使命」と店を再開。カキやワカメを使ったイタリアンを出す。「夫婦で開いた店。山田でも再開し、妻が生きた証しを残したい」

 福島県南相馬市の貝塚大暉さん(22)が、地元のあぶくま信用金庫に入って間もなく1年。震災の年に神奈川の大学に進学し、「経済復興を支えたい」と故郷に戻った。現在は営業担当。重い業務かばんを携え、津波被災地などを駆け回る。実家も津波で全壊し、三つ下の弟は今も行方不明のままだ。「いつまでも弟が誇れる兄でいたいと思っています。『兄貴、たくさんの人に囲まれてすごいな』って」

 福島県飯舘村の佐野ハツノさん(67)は、田園の恵みを生かした農家民宿の生活を原発事故で失った。福島市の仮設住宅で5年を過ごす。管理人となった2011年秋、入居者の女性たちを励まそうと古い着物を普段着に直す伝統技「までい着」作りの会を始めた。「1年後に避難指示解除になれば家に帰り、村の特産品として作り続けたい。仲間が集える場、誰でも参加できる仕事になるように」

 「ワカメが浜を救った」。岩手県大船渡市の漁業千葉豪さん(33)は、吉浜で父親と共にワカメやホタテを養殖する。津波で漁船2隻と養殖棚を流された。ホタテやカキに比べ、ワカメは成長が早い。震災1年後には出荷でき、被災漁師の貴重な収入源となった。「岩手はワカメの水揚げ日本一。生産から小売りまで、産地同士が手をつないでオール三陸で水産業を盛り上げたい」と決意を新たにする。

 津波で被災した岩手県岩泉町の小本保育園は昨年10月、移転新築して認定こども園「おもとこども園」として再出発した。年長の佐々木利理(りあや)ちゃん(6)は仮設園舎で約4年間過ごした。「新しい建物や遊び場はうれしかったけど、仮設を出るときは涙が出ました」。19日は卒園式。4月からは小学校に通う。「みんな優しくしてくれてありがとう。ランドセルも買ってもらったよ」

 「無我夢中の5年だった」。宮城県南三陸町の水産加工会社社長及川吉則さん(50)は振り返る。四つの工場が被災し残った1カ所で生産を続ける。地域の立て直しと漁業再生のため、住民や漁師と協働してきた。将来に悲観はしていない。「震災の経験から何があっても切り抜けられる自信が持てた」と語る。来年夏、市街地に新工場を再建する。「やっとスタートラインに立てる」と前を向く。


2016年03月11日金曜日


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