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<震災5年>手倉森誠「勇気と元気届ける」

「被災地の希望の光になる」と誓うU−23日本代表の手倉森監督(中央)=1月26日、ドーハ

 5年前の東日本大震災時にサッカーJ1仙台の監督をしていたU−23(23歳以下)日本代表の手倉森誠監督(48)=青森県五戸町出身=は1月、代表チームを今夏のリオデジャネイロ五輪出場に導いた。震災翌年に仙台を過去最高の2位に押し上げた自信を胸に「東北に勇気、元気を届ける」と誓う。
 仙台市泉区のクラブハウスで激震に襲われた。倒れそうな棚を支えていると、それまで座っていたソファに天井が崩れ落ちた。見通しの立たない今後の不安で涙が流れ、ボランティアで足を運んだ先の被害に言葉を失った。残酷な現実を突き付けられる日々で、使命感が湧き上がった。「俺たちは生かされた。そういう者の役目がある」
 練習再開は3月下旬。サッカーを続けていいのかと葛藤する選手に、地域密着を掲げるJクラブの存在意義を投げ掛けた。「社会と地域の思いをくみ、プレーで人の心を動かせ。そのことに生きがいを感じろ」。命題を与えられ、チームは変わった。2011年に当時過去最高のリーグ4位、12年には2位と快進撃を続け、13年にアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)初出場を果たした。
 指導力が評価され、14年にリオ五輪を目指す世代の代表監督に就任。「東北のために働いてきて、東北での仕事が評価された(結果)。東北の皆さんに送り出してもらった」と自らを奮い立たせた。
 日本を背負う選手を相手に、観戦者の生きがいになるよう人間性を育むことを促した。「谷間の世代」と評された世代に自信と実力を付けさせ、リオ五輪を決めたアジア選手権で優勝するまでに成長させた。
 「あの状況で、俺は逃げなかった。だから今、日本を背負う立場でやれている」。スポーツがさまざまな境遇の人々に夢を贈る存在であることを身をもって示してきた。リオ五輪は指導者としてこれまでにない大一番。使命感は強まる。


2016年03月11日金曜日


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