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<菅原智恵子>指導者で新たな闘い

「いつかはオリンピックでメダルを取らせたい」との強い思いを抱き、日本代表コーチ菅原の指導は熱を帯びる=1月、東京・味の素ナショナルトレーニングセンター

◎敗れざる人(5完)系譜

 「あなたはこんな所で何を大泣きしているの? そういうのは五輪出場を逃したとか、もっと大きな場面でするものよ」
 東京・駒沢体育館入り口の椅子に座り、人目もはばからずに泣いていた当時日体大1年の菅原智恵子(39)=宮城県気仙沼市出身=に女性が近づいて来た。口調が少しきつい。
 当時専大フェンシング部監督の大和田智子(74)=元東京五輪フェンシング代表=だった。気仙沼市出身で、菅原にとっては宮城・鼎が浦高(現気仙沼高)の先輩に当たる。
 この日、菅原はジュニアの世界大会最終選考会で敗れ、惜しくも日本代表入りを逃した。国内トップクラスの選手と目されながら高校で日本一になれず、大学での活躍を期していた分、悔しさが募った。

<大先輩の言葉響く>
 大和田に直接指導を受けたことはない。だが、大先輩の言葉は菅原の心に響いた。「そうか、まだ先がある」。感謝の念を抱くと同時に、フェンシングを続ける上で明確に世界を意識するきっかけになった。
 「大泣きするということは、大声で『強くなりたい』と言っているのと同じ。苦しみは人を大きくする」。菅原の素質を認めていた大和田はそんな期待を込め、励ましの言葉を掛けた。
 地道に努力を続けた菅原は大学時代に学生ナンバーワンと日本一を達成。国際大会の経験も積んだ。04年アテネ五輪に出場後は選手としての幅が広がり「試合の組み立て方や駆け引きが見えるようになった」。北京、ロンドン五輪で連続入賞した功績を、大和田は「メダルに匹敵する」とたたえる。

<メダリスト育成を>
 大和田は鼎が浦高フェンシング班の育ての親、佐藤美代子(故人)とコーチの千葉卓朗(故人)=元宮城県本吉町長=から薫陶を受けた。千田健一(59)=宮城・気仙沼向洋高校長=も千葉にフェンシングを教わり、菅原と、長男でロンドン五輪男子フルーレ団体銀メダリストの千田健太(30)=阿部長マーメイド食品、宮城・気仙沼高−中大出=を育成した。
 現在、日本代表コーチを務める菅原の決意が大和田には分かる。「五輪でメダルを取れる選手を育てたいと思っているでしょう。自分が果たせなかった夢を託して」。実際、菅原は「選手を入賞の次(の段階)につなげていくのが私の役目」と言う。
 気仙沼に剣の系譜があったこと、そして、この地で生まれ育ったことが、菅原の人生を決定づけた。今、その古里が震災から立ち上がろうとしている。指導者として新たな闘いへ臨む菅原。「アレ(はじめ)」の号令が聞こえている。(敬称略)
(佐々木貴)


2016年03月11日金曜日


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