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<震災5年>防災庁舎に町民続々 静かに合掌

地震発生時刻に合わせて犠牲者を追悼するため、大勢の人が集まった防災対策庁舎=11日午後2時50分ごろ、宮城県南三陸町

 東日本大震災から5年を迎えた11日、津波で43人が死亡、行方不明になった宮城県南三陸町防災対策庁舎には大勢の町民らが次々と訪れ、静かに手を合わせた。
 「5年もたってしまった。いつ帰ってくるの」。気仙沼市の無職村上勝正さん(66)は骨組みだけの庁舎を前に、行方不明のままの長男宏規さん=当時(33)=に語り掛けた。
 宮城県南三陸教育事務所に勤務していた宏規さんは、庁舎屋上に避難し津波にのみ込まれた。使っていた古い携帯電話と馬の縫いぐるみは骨つぼに納められており、村上さんは時折出して息子を思い出すという。
 庁舎は2031年まで県が管理し、この間に町が保存か解体かを判断する。周辺では志津川地区市街地を約10メートルかさ上げする工事が進み、風景は5年前と一変した。
 町職員だった兄の佐藤義男さん=当時(45)=を失った仙台市若林区の会社社長幸義さん(43)は「もう兄がいたころと違う。記録として残すため庁舎は必要かもしれない」と話した。
 南三陸町歌津の高橋はつみさん(81)は義理の息子で町職員の三浦毅さん=当時(51)=の行方が分からない。5年前はワカメの出荷に向けた作業中、防災無線で避難を呼び掛ける息子の声を聞いた。献花台に好きだったビールを手向け「前を向かないといけないね」と自分に言い聞かせた。
 地震発生時刻の午後2時46分。庁舎前には約200人が集まり、黙とうをささげた。庁舎周辺への立ち入りは4月から2年間、復興工事のため制限される。


2016年03月12日土曜日


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