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<ヤクルト由規の道>苦難始まった「あの年」

春季教育リーグで登板する由規。「はい上がるだけ」と地道に支配下登録復帰を目指す=3日、戸田球場

 プロ野球ヤクルトの由規が1軍の舞台から遠ざかって4年半が過ぎた。長期化した右肩痛を乗り越え、今季は育成選手として再起を懸ける。(浦響子)

◎マウンドに立つ(上)背番号121

<4シーズンが経過>
 投手交代を告げるアナウンスが流れると、客席からざわめきと拍手が起きた。
 今月3日、春季教育リーグ・ヤクルト−巨人戦の四回。ヤクルトの2軍本拠地・戸田球場のマウンドに今季初めて由規(26)=本名・佐藤由規=が立った。背番号121。このオフ、球団の支配下登録枠70人からはじき出されて育成契約となり、昨季までの「11」から変わった。
 直球の制球に苦しんだ。2四球を与えたものの、三振と併殺打で1回を無失点で切り抜けた。
 「全然駄目だった。悪いなりに抑えたのはいいけど」。納得はできないながらも、表情に迷いはない。「地道に少しずつ。ハイハイでいいから前に進みたい」
 仙台育英高3年だった2007年夏の甲子園で、大会史上最速の155キロを記録し注目を浴びた。同年秋のドラフト会議で5球団競合の末にヤクルト入り。1年目から1軍登板を重ね、3年目には自己最多の12勝を挙げて順調にエースへの道を歩んでいた。11年9月に右肩を痛めるまでは。
 原因を特定し切れない痛み。手術。リハビリ。いつしか4シーズンが経過した。
 その間に、大谷(日本ハム、岩手・花巻東高出)や藤浪(阪神)ら甲子園を沸かせた後輩たちが次々とプロ入りしてきた。14年には大谷が162キロを出し、由規が10年にマークした日本人最速記録(161キロ)を更新。150キロ台を連発する投手はもはや珍しくなくなった。

<栄光 過去のものに>
 「僕が1軍で投げていたころとはだいぶ違う。今までと一緒じゃ駄目」。昨秋から投球フォームの改良に取り組む。腕の位置を下げてスリークオーター気味にし、しっくりいく投げ方を探っている。
 スタイルも模索する。「抑え方は無限にある。全ての球種をバランス良く投げられるのが理想」。直球の球威で押す持ち味は変えないが、少ない球数で打ち取る投球術を追い求める。
 今季、ここまで3試合で中継ぎとして登板した。離脱前は先発一本だったが、今季は球団の方針で中継ぎ起用となる可能性がある。「4年間、一球も投げていない。とにかく1軍で投げることが第一。言われた場所を全うする」と覚悟を決めている。
 もう、あのころとは状況が違う。4年半の歳月は栄光を過去のものとし、背番号は3桁に変わった。
 暗転したのはプロ4年目、21歳の時だった。
 「あの年は特別だった」
 11年。故郷の宮城県を大災害が襲った。
 自身の苦難の歴史の始まりでもあった。


2016年03月12日土曜日

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