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<あなたに伝えたい>私も子ども好きになれたよ

復興支援のスキー教室に参加した畑中みゆきさん(最前列の左端)=1月末、八幡平市の安比高原スキー場

◎畑中みゆきさん(宮城県塩釜市)から幸夫さんへ

 みゆきさん 震災が発生したとき、長野県内のスキー場にいました。山が揺れて、てっきり富士山が噴火したのかと。インターネットで大津波警報が出たのを知りました。選手たちが「大丈夫なの?」とメールで気遣ってくれました。
 叔父は避難ビルになっていた体育館に逃げたらしいのですが、津波が2階まで押し寄せ、流されてしまった。仙台港の埠頭(ふとう)で遺体で見つかりました。
 3月11日は、定年退職を控えて最後の勤務日でした。子どもが大好きで、私にもとても優しくしてくれた「おんちゃん」。塩釜市の浦戸諸島産のノリをよく、送ってくれたんですよ。
 震災後、支援物資を持って浦戸の桂島に行きました。若い人たちがドラム缶で海水を沸かし、ペットボトルに入れて湯たんぽにして配っていた。気持ちの温かさを感じました。
 叔父が送ってくれた浦戸のノリを食べていたこともあり「ここで支援を続けよう」と決め、ノリ養殖を手伝いました。2012年1月にNPO法人を発足させ、支援を続けています。
 個人の復興支援活動として、子どもたちにスキーを教えています。初めてでも諦めなければ、リフトに乗って降りてこられる。やり遂げたときのあのキラキラした目は最高。19、20の両日はスプリングバレー泉高原(仙台市)で教室を開きます。
 子どもが笑顔になると、周りの大人も笑顔になる。実は以前、子どもが苦手でした。子どもが大好きだったおんちゃんのおかげで、大好きになれた。感謝の気持ちでいっぱいです。

◎スキー教室開き、支援に奔走

 畑中幸夫さん=享年(67)= 東日本大震災の発生時、仙台港近くで働いていた。避難ビルに逃げたが、津波に襲われ、命を落とした。フリースタイルスキーモーグルの元五輪選手、畑中みゆきさん(40)=塩釜市=は、叔父の幸夫さんの思い出を抱きながら、復興支援に奔走する。


2016年03月13日日曜日

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