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<アーカイブ大震災>待ってる人いる 再起へ

工房で手際よく形を整えた笹かまぼこを串に刺していく会長の圭司さん。従業員に手焼きの手本を示している=宮城県名取市増田3丁目

 東日本大震災による津波は沿岸部の幾多の工場ものみ込んだ。壊滅的な被害の現場で、東北の企業は再起に向けて奮闘する。宮城県名取市の笹かまぼこ製造会社「ささ圭」は三つの工場が全壊した。いったんは全従業員に解雇を通告したものの、「特産品を守る」と撤回。小さな工房で、「手焼き」の原点に立ち返り、笹かま作りを再開した。

◎苦闘 企業の前線(6)20平方mの工房(名取の笹かま製造会社・ささ圭)

 広さわずか20平方メートル。そこに二つのガス式の焼き台や、原料のスケソウダラを石臼で練りつぶす小型機械などが、備え付けられている。
 再起を懸けた工房は2011年7月1日、JR名取駅東口近くに設けた。販売専門の名取増田店の一部を約500万円で改装した。
 材料を型枠に入れ、上から手でペタペタ。それにステンレス製の串を刺し、一枚一枚丁寧に焼き上げる。
 「手焼きを見るなんて小学生のころ以来」。社長の佐々木圭亮さん(59)は吹っ切れた様子で作業を見詰める。
 ささ圭は1966年創業。笹かまに加え、牛タンソーセージなどの加工品も手掛けてきた。
 工場は閖上漁港近くに3棟あり、笹かまだけで1日7万〜8万枚を製造してきた。昨年の売上高は1億1800万円に上った。

 3月11日、閖上漁港には高さ約8メートルの津波が押し寄せた。3工場と併設する冷凍冷蔵倉庫がのみ込まれた。
 58人の従業員は地震後に全員が退社。工場長を含む3人が途中で津波の犠牲になった。
 佐々木さんは閖上の自宅も失った。「効率を求めて閖上に3工場を集中配置していた。リスク分散で一つは離れた場所に設けるべきだった」。後悔しても現実は変わらない。経営者としての心はぽっきり折れた。
 3月23日、従業員に解雇を告げ、不明だった従業員の安否確認のため名取市役所に向かった。
 市役所では、社会保険労務士がボランティアで被災企業の相談に応じていた。自然と足が向き、解雇の方針を伝えた。
 「国の支援制度もある。考え直した方がいいですよ」。そういえば津波被害を受けた同業者からも「うちは再開を目指す。そっちもやめるなよ」と言われていた。心の底で変化が起きた。
 佐々木さんは翌日、再び従業員を集めて前言を撤回した。

 決断は間違っていなかった。5月中旬、手焼き工房の準備を始めると、通行人が「いつから再開すんの」と尋ねてきた。「待っている人がいる。そう実感させられた」と佐々木さんは言う。
 工房には今、父で創業者の会長圭司さん(90)と母あつさん(84)が立ち、従業員に手焼きの手本を示している。ステンレス製の串は震災後、従業員ががれきの中から探しだして磨き上げた。
 1日に焼けるのは約3000枚で震災前には遠く及ばない。残った従業員50人のうち作業に携われるのは15人。他は休職扱いにせざるを得ない。
 それでも佐々木さんは前を向く。今秋には、名取市植松の国道4号バイパス沿いの社有地で、新工場の建設を始める計画だ。
 投資額は5億6000万円を見込む。被災した工場の借金も残り、二重ローンの不安を抱えながらの着工となる。

 工房で作る2種類のかまぼこの商品名は「福興(ふっこう)手わざ笹蒲鉾(かまぼこ)」と「福興遊里揚(ゆりあげ)」。第2の創業に会社と地域の未来を託した。
 「数はこなせなくても、おいしさで応えたい」と従業員の高橋久美さん(26)。赤川香奈さん(23)は「新工場ができても、手焼き笹かまは作り続けたい」と笑う。
 「毎日、薄氷を踏む思い。それでもみんなの力で、笹かまを待っている人たちの要望に応えられているのではないか」。佐々木さんは復興への一歩一歩に手応えを感じている。(山形泰史)=2011年7月29日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月13日日曜日

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