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<ヤクルト由規の道>不屈「地元で投げたい」

オールスター戦で先発登板した由規。被災した地元を活気づけた=2011年7月24日、Kスタ宮城(当時)

◎マウンドに立つ(下)もう一度

<宮城の球宴で登板>
 「3.11」を迎えるたび、ヤクルトの由規(26)は二つのことを思う。
 「あの震災から5年」
 「あのけがから5年」
 2011年3月11日、東日本大震災が起きた。仙台市内陸部にある実家の被害は少なかったが、海沿いでは1万を超す犠牲者が出た。
 仙台育英高でバッテリーを組んだ一つ上の先輩、斎藤泉さん(22)=当時=も石巻市で津波にのまれた。06年夏、フルスタ宮城(当時)での宮城大会決勝で延長15回引き分け再試合をともに戦い、甲子園へ導いた人だった。
 「決勝も甲子園も、自分の良さを引き出してくれたのは泉さん。それでプロに行きたいと思った」。亡きがらが見つかった4月27日、巨人戦で勝ってウイニングボールを遺族へ贈った。
 7月。オールスター戦にファン投票で選ばれ、Kスタ宮城(当時)で登板した。「うれしかった」。託された気持ちを感じ、地元で投げる喜びをかみしめた。
 だが、悪夢が襲う。9月3日の登板後、違和感を右肩に覚えた。
 それは長く宿った。
 高校時代から自他共に認める「投げたがり」。投げられないもどかしさは心をさいなんだ。「人を避けていた。震災の支援活動を率先したくても、投げていない自信のなさがあった」
 「『頑張れ』って言われるのが、つらい」
 このころ、兄史規さん(29)は一度だけ弟の弱音を聞いている。「しゅんとした表情で『どこまで頑張ればいいんだろう』って…。責任感の強い由規がそう言ったのは、すごくショックだった」と振り返る。

<「けがは運命かも」>
 鬱屈(うっくつ)は13年4月、右肩のクリーニング手術に踏み切って晴れた。「リセットして立て直せる」。リハビリを経て、翌年実戦復帰。段階を踏んで自信を取り戻した。
 「不安に思わなかったことは、正直ない」。それでも、今は別の思いを持つ。
 故郷の復興。
 自分の復活。
 「同じ時期にけがしたことは、運命なのかもしれない。投げる姿を見せて、少しでも力を与えられたら」
 まず支配下復帰。そして神宮へ。そして…。
 6月、コボスタ宮城で東北楽天との交流戦がある。球宴の思い出のマウンド。甲子園、プロへの道を切り開いた原点でもある。
 「『由規はまだだべか』と待ってくれている人たちがいる。地元で投げたい」。その時、苦しみは計り知れない喜びに変わる。
 「苦しんだ人にしか見えない景色は、僕にしか分からない」。そのために、もう一度。あの場所に立つ。


2016年03月13日日曜日


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