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<被災校舎の行方>大川小 わが子はここに

上着掛けと、鈴木真衣さんの名前が記されたシール(鈴木さん提供)
震災から5年となった今月11日、被災した大川小には遺族ら多くの人が慰霊に訪れ、法要も営まれた

 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)

◎石巻・震災遺構を考える(1)大川小・保存

<記憶をたどる場>
 鈴木典行さん(51)が大川小6年だった次女真衣さん=当時(12)=を失い、5年がたった。
 津波の脅威を今も生々しく伝える校舎の2階に足を運ぶ。教室のロッカーと廊下の上着掛けを必ず見る。真衣さんら児童一人一人の名前のシールが残る。
 「真衣に会える気がする。思いは変わらない。遺族に節目はないんです」
 平穏な朝だった。2011年3月11日。鈴木さんはいつも通りハイタッチをして学校へ送り出した。「行ってきます」
 真衣さんの「ただいま」の声は永遠に聞くことができない。「なぜ、亡くなったわが子を抱きしめなければいけないのか」。現実を受け入れられなかった。
 校舎と体育館を結ぶ渡り廊下が津波で横倒しになっている。体育館は原形をとどめていない。
 真衣さんは4年からミニバスケットボールのチームに所属。体育館で練習に励み、「中学でもバスケをやりたい」と胸を躍らせていた。鈴木さんは指導者としてチームに関わった。
 大川小は真衣さんの存在を確かめる場でもある。子どもたちとの記憶をたどるよすがとなる校舎、体育館を残してほしい。学校の近くに仮設事務所を構え、管理人として常駐したい。現地を訪れた人に津波の痕跡を見てもらい、ここで起きた出来事、教訓を語り伝えたい。鈴木さんの思いだ。

<「時が止まった」>
 中村次男さん(41)と妻まゆみさん(42)は3年だった一人娘の香奈さん=当時(9)=を亡くした。
 仕事中は悲しみや喪失感を頭の隅に置くよう努める。家に帰ると気持ちが底まで沈む。その繰り返し。
 香奈さんの分もお菓子やデザートを買う。中村さんは「生活は香奈を中心に回っていた。震災から時が止まったままだ」と言う。
 香奈さんは帰宅すると、学校での出来事を生き生きと話してくれた。「下の学年の子と遊んで疲れた」「友達と一輪車に乗った。転んだけど楽しかったよ」
 中村さん夫妻は校舎の全部保存を望む。せめて全校集会があったホールなどは残してほしい、と願う。「現物があれば、今後の子どもたちにも大川小であったことを伝えやすい」
 住民団体「大川地区復興協議会」は校舎全体の保存などを市に求めている。浜畑幹夫事務局長(57)は石巻市職員時代に被災。遺族や地元住民、全国から来た人たちの意見を聞いた。
 「校舎を見るのがつらい。壊してほしい」という声は理解できる。ただ、「未来の命を守るために校舎を残してほしい」との声により説得力を感じた。
 13年10月に早期退職し、今は個人的にも保存を望む。「市には50年後、100年後を見据えた判断をしてほしい」と訴える。

[石巻市大川小、門脇小]大川小は校舎が1985年に完成。震災で児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明、教職員13人のうち10人が死亡した。現在は二俣小の校舎で授業をする。門脇小は1873年創立。震災で津波と火災の被害を受けた。既に下校していた児童7人が犠牲となった。昨年4月、石巻小と統合した。


2016年03月14日月曜日

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