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<被災校舎の行方>表に出せぬ声 尊重を

被災した大川小。校舎周辺は人が住まない災害危険区域になった=2月11日
石巻市長面地区で行方不明者の集中捜索をする宮城県警の警察官。長面地区では大川小の児童らが暮らしていた=11日午後2時10分ごろ

◎石巻・震災遺構を考える(2)大川小・解体

<心痛める遺族も>
 生きている人たちが心からの笑顔を取り戻す。それが、天国の子どもたちをも笑顔にする。
 宮城県石巻市大川小6年だった長女小晴さん=当時(12)=を亡くした平塚真一郎さん(49)はそう信じる。
 東日本大震災の津波で変わり果てた校舎に毎日通い、手を合わせる。「みんな幸せになっていますように。まだ見つかっていない子を早く帰してあげて」
 2011年8月。校舎から数キロ離れた海で遺体の一部が見つかった。DNA型鑑定の結果、小晴さんと確認された。幼い弟と妹をあやして笑わせる面倒見のいい姉だった。「本当によく帰ってきたね」。一緒に捜してくれた不明児童の親らと涙を流して喜び合った。
 大川小では今も児童4人の行方が分からない。校舎を壊して隅々まで捜したい。わが子の手掛かりを一つでも見つけたい。そう願う家族がいる。校舎を背景に写真を撮る来訪者の姿に、胸が締め付けられる遺族もいる。
 「校舎を見て心を痛めている人たちに寄り添い、少しでも悲しみを取り除きたい」。校舎の遺構保存をめぐる2月の公聴会で、平塚さんは解体を強く訴えた。
 保存を望む意見は、頭では理解できる。でも、心がついていかない。きれいに整備し、たくさんの花が咲き、集う人々の心が安らぐ場にしてほしい。全てを忘れたいがためでは決してない。
 市が昨年実施した校舎に関するアンケートで、地元住民の54.4%が「解体」と回答した。ただし、表面には現れにくい「解体」の声もあるという。

<家族の間でも差>
 アンケートは世帯主宛てに送付。世帯主が世帯の意見を代表して答える仕組みだった。ある地元の遺族は家族で話し合った結果、「一部保存」との結論を出した。世帯主の男性は「いつまでも校舎を見ていたくない」と解体を望んだが、最後は家族の意向を尊重した。
 世帯主の男性は、大川小で子どもを亡くした他の遺族の話にも耳を傾けた。「家族の間でも遺族の間でもそれぞれ考え方は違う。誰の考えも否定はできない」
 校舎が立つ釜谷地区は津波で大きな被害を受け、住民の約4割に当たる193人が犠牲になった。釜谷地区で長く暮らした男性が振り返る。「あちこちに遺体があった。地獄だった」
 震災前の釜谷地区の写真を、移転先の仮設住宅で大事に保管している。大川小のほか、民家やスーパー、郵便局、診療所、交番などが立ち並ぶ。
 男性は暇さえあれば大川小の餅つきなどの行事を見学し、孫らの成長を見守ってきた。「大川小は地域のよりどころでもあった。くたびれた姿はもう見たくない」と解体を求め、こう静かに続けた。
 「解体の思いは一個人の感情と捉えられがち。声を上げにくい面があることを理解してほしい」
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 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


2016年03月15日火曜日


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