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<アーカイブ大震災>津波2度大丈夫 油断に

津波が襲来した直後の岩手県大船渡市中心部=2011年3月11日午後5時ごろ

 東日本大震災は、地震や津波が発生した際の避難行動に多くの教訓を残した。想定をはるかに超えた津波とはいえ、多くの人が犠牲になったのはなぜか。命からがら助かった人は、どう逃げたのか。「ドキュメント大震災」のシリーズ第5弾「逃げる その時U」は、第2弾に続き、人々の避難行動を検証する。

◎逃げる その時U(1)足止める(大船渡、気仙沼)

 大きな被害をもたらした過去の津波を語り継ぐ三陸海岸では、住民の津波への警戒意識は決して低くない。訓練も盛んだ。だが、津波にのまれて犠牲になった住民の中には、大津波警報を知りながら逃げなかった人もいるとされる。大震災から約1年前のチリ大地震津波と、わずか2日前の小規模な津波の実体験が、油断を生んだ。

 「早く高台に上がれ」
 2011年3月11日の本震後、岩手県大船渡市川原地区町内会長の菊地武雄さん(65)は近所を駆け回って叫び続けた。だが、住民はなかなか逃げようとしない。必死に説得する菊地さんは、こう言い返された。
 「昨年も、おとといの津波も小さかった。絶対、ここまで来ない」
 住民から何度も言われるうちに、菊地さんも2度の津波を思い返した。
 2010年2月28日。同市内では大津波警報のサイレンが鳴り響き、地球の裏側からチリ大地震津波の襲来を告げた。
 東日本大震災の2日前の3月9日にも、前震とされる地震が発生し、津波が押し寄せた。
 2度の津波はいずれも波高が50センチ前後。湾内の養殖施設が被害を受けたものの、港の岸壁を越えることはなく、死者・行方不明者はゼロ、陸への損害もなかった。
 住民に避難を呼び掛けたにもかかわらず、菊地さんは、地区内で最も海に近い国道45号に下り、渋滞した車の交通整理を始めた。
 間もなく、目の前に土煙が現れた。津波と気付いて高台に走っても途中で追い付かれた。濁流に足をすくわれつつ、何とか高台まで逃げた。

 菊地さんが振り返る。「みんなに『逃げろ』と言っても、内心は『今回もここまでは来ない』と思うようになった。震災前の2度の津波の体験があったからだ。あれがなければ、国道に下りたりしなかった」
 菊地さんは内陸部で生まれ育ち、大船渡が甚大な被害を受けた1960年のチリ地震津波は体験していない。
 東北大大学院文学研究科の阿部恒之教授(心理学)は、直前の津波体験が避難を遅らせたり、妨げたりするなど影響したとみる。さらに2度の津波の間隔が大きなポイントだと指摘する。
 「1年前の津波の記憶が薄れようとしていた時、再び津波が来て、記憶が鮮明に復活した。小さな津波体験が2度もあると『津波は大したことがない』との意識が強くなり、過去の津波の教訓は現実離れした昔話となって消去されてしまった」
 その傾向は、被害の大きな津波を体験したことがない住民に強いという。

 宮城県気仙沼市松岩地区の男性(38)も大きな津波の経験がない。3月11日の本震後、いったんは高台に避難した。
 そこで昨年のチリ大地震津波と2日前の津波を思い出した。「今回も同じぐらいだろう」。そう確信して海沿いの自宅に戻った。
 2階で片付けをしていた時、屋根よりも高い津波が来て家ごと流された。幸い、奇跡的に命拾いした。男性は「昨年の津波でも大津波警報が出たが、自宅は無事だった。安心して戻ってしまった」と振り返る。
 多くの住民が逃げずに犠牲になった過去の津波災害に、1896年の明治三陸大津波がある。地震の揺れが震度2〜3程度と弱く、住民は津波が来ないものと油断した。今回の震災を上回る約2万2000人の死者・行方不明者を生んだ原因とされる。
 東北大災害制御研究センターの今村文彦教授(津波工学)は「震災前の2度の津波は、明治三陸大津波の弱い揺れのような作用を、今回の避難行動に与えた。巨大津波の犠牲者を増やす一因となり、自然の皮肉としか言いようがない悲劇が繰り返された」と嘆く。(中村洋介、山口達也、高橋鉄男)=2011年8月18日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年03月15日火曜日

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