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<被災校舎の行方>新居で惨状の姿見たくない

門脇小の周辺では、新たな住宅地の整備が進む。住民は複雑な思いで校舎の行く末を見守る

◎石巻・震災遺構を考える(4)門脇小・解体

<廃校に思い複雑>
 大型重機が土を盛り上げ、一戸建て住宅用の宅地を整える。宮城県石巻市の日和山から眼下に広がる更地で、災害公営住宅の工事が進む。
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市門脇地区は3年後、400戸1000人が住む街に生まれ変わる。
 震災遺構の候補に挙がる門脇小はその中心部にある。津波と火災に遭い、色あせ、ほこりをかぶった校舎は、灰色の目隠しシートで覆われている。
 地元の町内会でつくる住民組織「新門脇地区復興街づくり協議会」は「新しいまちにふさわしくない」と一貫して校舎の解体を求めてきた。
 協議会の浅野清一会長(68)は約20年前に門脇に家を建て、門脇小に子どもを通わせた。「学校をはじめ、病院、スーパー、文化センターなど地域には何でもあった。年老いても便利だろうと居を構えた」と振り返る。
 震災で全てがなくなった。自宅も流失した。惨状を目の当たりにし「門脇には二度と住めない」と思ったが、市は人が住める場所に指定した。宅地の造成が完了後、この地に息子と妻の3人で自宅を再建する。
 門脇小は住民が集う地域の核だったが、児童数の減少で2015年3月、石巻小と統合した。
 「震災前には300人の児童がいた。廃校になるとは思ってもいなかった。学校がなくなれば若い人が住まなくなり、集落がなくなるのではないか」
 宅地の本格供給はことし始まる。新しいまちづくりをどうするか。協議会は、地域コミュニティーの形成には子育ての場が必要として、市に保育所の整備を要望している。
 「震災遺構は必要だと思うが、新しい住宅地には合わない。可住地にしたのは行政だ。なぜいまさら、住民の意向に反することをするのか」
 浅野さんは夏に宅地が引き渡される。新居で年を越せるかもしれない。その時、被災した校舎の姿は見たくない。

<教訓の伝承が先>
 門脇で生まれ育った阿部豊和さん(64)の自宅は日和山のふもとにあり、津波の被害を免れた。地域に残った住民と一緒に地域再生に取り組む。
 門脇と隣接する南浜地区では、震災で539人が死亡・行方不明になった。市は住宅地のかさ上げのほか、南側に高さ3.5メートルを超える高盛り土道路を造るなど、津波防御を進める。
 それでも住民の不安は消えない。阿部さんは「すぐ近くに山があるのに多くの犠牲者が出た。遺構を残す前に、その教訓を生かすべきだ」と言う。
 日和山に逃げる道の多くは階段で、地域は高齢化が進む。「安全を考え、市有地である門脇小の敷地に車で日和山に逃げられる避難道をつくるべきだ」と阿部さんは提案する。
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 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


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2016年03月17日木曜日

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