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<被災校舎の行方>議論尽くせる場 必要

被災した大川小校舎の遺構保存に関する公聴会。複雑な感情が入り交じった

◎石巻・震災遺構を考える(5)揺れる思い

<意見示せず不安>
 2月13日、宮城県石巻市飯野川中体育館。東日本大震災で被災した同市大川小の校舎の遺構保存をめぐる公聴会で、1人の女性が胸の内を明かした。
 「保存が正しいのか、解体が正しいのか。実は分からないんです」
 校舎周辺は津波で大きな被害を受け、災害危険区域となった。住みたくても住めない。多くの被災者がやむを得ず故郷を離れた。
 女性もその一人。大川地区外の仮設住宅で暮らし、集団移転先が整備される日を待つ。
 個人的には校舎を現状の姿で残してほしいと望む。震災から5年がたち、校舎でしか会えない人がいる。犠牲になった子どもたちを慰霊する時。吹きさらしで汚れた所を掃除する時。
 女性が暮らす仮設住宅団地の入居者の半数近くは元大川地区住民だ。昨年秋、入居する元住民の多くに大川小の保存の是非などを問う市民アンケートは届かなかった。市は「大川地区に現在住所のある人らの回答で意向は十分反映される」などとして、元住民の枠を設けなかったからだ。
 アンケート結果などを踏まえ、亀山紘市長は今月中に保存の可否を決める。
 女性は「どんな結果となるのか不安だ」と言う。意思を示す貴重な機会がなかった元住民は市の対応に不信感を抱く。「住所を移さざるを得なかった事情をよく考えてほしい。大きな声では意見を言えない。アンケートに答えたかった」

<歳月を経て変化>
 歳月の流れとともに、心境が変わりつつある大川小児童の遺族もいる。
 ある遺族は震災当初、「解体してほしいとの気持ちが100パーセントだった」と明かす。校舎の近くに来ると、つらい記憶が脳裏に浮かぶ。静かに手を合わせたいと思うが、観光バスや大勢の来訪者を目にすると素通りしてしまう。
 あの日から前に進めない。それでも、いくらか落ち着きを取り戻し、校舎の行く末を考えられるようになった。保存を求める遺族らの話を耳にするうち「思いが分からないではない」と心が揺らぐ。
 震災で539人が死亡・行方不明となった石巻市門脇、南浜両地区。遺構候補に挙がる門脇小の校舎は、津波と火災の爪痕を残して住宅地に立つ。
 石巻市の環境デザイナー阿部聡史さん(34)は「なぜ遺構が必要なのか。門脇地区の将来像をどう描くのか。住民や市民の理解が深まっていない。どんな結論でも問題になる」と話す。
 南浜地区の復興祈念公園の計画策定に関わる。地域ではさまざまな思いが渦巻くのに配慮し、まちづくりや予算、整備の考え方などを専門家と市民が共有し丁寧な議論を心掛けた。
 その経緯を踏まえ、阿部さんは訴える。「保存、解体の両者が話し合って結論を出すことが重要。議論を尽くし、住民や市民が納得する方向でなければ、校舎を残しても意味がないのではないか」
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


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2016年03月18日金曜日


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