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<被災校舎の行方>命考える場保存訴え

被災した大川小校舎の前に立つ只野さん。「震災の記憶を風化させず、近い将来起こる災害で一人でも多くの命を救うため校舎は絶対に必要になる」と語る=2月7日

◎石巻・震災遺構を考える(6)大川小卒業生

<日常生活に戻る>
 部活動の柔道の調子が悪い。学校のテストはうまくいくかな…。
 そんな悩みや不安があるのは、生きているからこそだ。東日本大震災の津波で被災した校舎を訪れるたび、そう実感する。
 宮城県石巻市の高校1年只野哲也さん(16)は今月11日午後2時46分、同市大川小の5年生教室で黙とうした。同級生の男女15人のうち、6人が犠牲となった。
 「小さなことで悩んでいては天国で、仲間に胸を張って会えない」。気持ちを奮い立たせ、日常の生活に戻る。大川小校舎は仲間への思いをはせる場となっている。
 5年前の同じ時刻、5年生教室にいた。巨大地震の後、約50分間校庭にとどまった。避難誘導されるさなか、北上川から黒い波が向かってきた。必死に駆けだし、裏山をはい上がった。濁流にのまれ気を失った。
 3年だった妹未捺さん=当時(9)=と母しろえさん=同(41)=、祖父弘さん=同(67)=を失った。
 「一歩足を置く場所が違ったら自分も死んでいたかもしれない」。津波の恐怖が心に染み付くが、あの日の体験を公の場で語ってきた。「今後、自分たちと同じ思いをする人を出してはいけない」と願うからだ。
 震災後に父英昭さん(44)らと大川地区を離れた。大川小で始めた柔道を石巻市内の中学、高校で続けてきた。現在の階級は100キロ。強豪校の部員約15人としのぎを削る。
 学校生活で大川小が話題になることは少ない。卒業生として校舎の保存を訴える自分と、一人の高校生として今を生きる自分。2人の自分に葛藤する。

<悲劇背負い歩む>
 時折、カメラで故郷の空を撮影する。校舎周辺の街は姿を消したけれど、自然は変わらない。同級生と泊まりがけで合宿したり、未捺さんらとふざけながら歩いて登校したりした楽しい記憶を思い出す。
 震災が過去の出来事になりつつあると危機感を抱く。同じような悲劇がいつ起きるか分からない。只野さんら卒業生でつくる「チーム大川」は2014年春以降、校舎の保存を訴える活動を続けてきた。
 メンバーの大学生佐藤そのみさん(19)は「大川小への思いを発信できている子どもは一握り。チーム大川の中でも本音をなかなか言えていない」と言う。
 大川小をめぐっては、心に深い傷を負い不登校になった子もいる。卒業生は少なからず、大川小の悲劇を背負って歩む。佐藤さんも6年だった妹みずほさん=当時(12)=を亡くした。
 それでも、大川小校舎を残してほしいと願う。全国の小さな命を救う場、小さな命を考える場になる、と信じる。「大好きな大川小、大川地区について一緒に考えたい」。大川地区との関係が途絶えてしまった卒業生に、佐藤さんはそう呼び掛けている。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


2016年03月19日土曜日

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