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<被災校舎の行方>痕跡伝えるシンボル

門脇小校舎の写真を見ながら、遺構としての保存が必要と語る佐藤さん

◎石巻・震災遺構を考える(7)門脇小卒業生

<思い出の品ない>
 変わり果てた古里への郷愁と防災への願い。二つの思いを被災校舎に重ねる。
 仙台市の仙台南高2年佐藤真歩さん(17)は東日本大震災の発生当時、震災遺構の候補に挙がる宮城県石巻市門脇小の6年生だった。保存と解体の間で地域が揺れる中、母校の保存を願う。
 門脇地区に隣接する南浜地区に両親と弟の家族4人で暮らしていた。震災の津波で自宅は流失し、沿岸部の缶詰工場に勤めていた父正さん=当時(52)=が犠牲になった。
 「住み慣れた家も優しかった父も失った。残った思い出の品はほとんどない。校舎は学校生活を思い出させてくれる」
 母親と祖父も門脇小を卒業した。石巻を離れた今、校舎は散り散りになった同級生も含め、多くの人とのつながりを確認できる大事な存在だ。
 門脇小は震災で津波と火災に見舞われたが、300人いた児童のほとんどは教員の誘導で高台の日和山に避難して無事だった。真歩さんは弟と石巻高に身を寄せた。家族と連絡が取れず、3日目に母親と再会するまで不安な夜を過ごした。
 仙台に引っ越して「星がきれいな夜だったね」という友人の話に驚いた。自分の過ごした3月11日の夜とは全く違う。震災についての感覚が内陸部と沿岸部で異なることを学んだ。
 中学生のとき、広島市の原爆ドームを見た。教科書などで知ってはいたが、実際に見て原爆の怖さを感じた。言葉や写真でいくら説明されても分からないことがある。
 「門脇小も津波の脅威や防災の必要性を感じる場になってほしい。見ることで、命を守る行動につながる人がいるかもしれない」
 世代が若くなればなるほど、震災の記憶は薄れる。しかし、建物は後世に伝わる。
 真歩さんは「地域の人がつらいと思うのであれば目隠ししても、移設でも、中央部分を残して解体してもいい。とにかく校舎を残して」と願う。

<「残し方に疑問」>
 石巻高2年阿部桃花さん(17)も震災当時、門脇小6年だった。桃花さんも校舎の保存を望む。
 昨年12月の修学旅行で、阪神大震災で被災した神戸市長田区を訪れた。ビルとビルの間の狭い道に、地震で崩れずに残ったというブロック片があった。
 案内してくれた現地の人は、大きな1枚のコンクリート壁が地震にも崩れず、一部を遺構としたと説明した。震災から20年がすぎ、その場所を訪れる人はほとんどいないという。「残し方に疑問がある」と現地の人は語った。
 「神戸は復興し、震災の痕跡が分からなかった。モニュメントでは伝わらないことがある。門脇小は悲惨な姿になったが、震災を発信するシンボルになるはず。全部残してほしい」
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


2016年03月20日日曜日

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