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<歌声あすへ響け>曲を通じて懸け橋になる

ライブハウスで歌う矢野さん=15日、福島市

◎原発避難 福島・浪江の歌手たち(中)矢野雅哉さん=いわき市

●芽ばえる使命感
 物が散乱する部屋、無人の商店街、がれきが残ったままの海岸線…。古里の風景をブログに載せた。アクセスはすぐに4万を超え、顔も知らない全国のミュージシャンが自作の曲を聴いてくれた。反響の大きさに使命感のようなものが芽ばえた。
 福島県浪江町出身の矢野雅哉さん(32)は、ライブ会場として数多く使われる福島県いわき市の多目的ホール「いわきPIT」のスタッフとして働く。「生まれ故郷が未曽有の災害に遭った一人のミュージシャンとして、発信を続けたい」と願っている。
 高校入学直前にギターを買い、同級生とバンドを組んだ。大学進学を機に上京し、卒業後もアルバイトをしながら音楽活動を続けていた。「いい歌を聞かせたい、東京で大きくなりたいという一心だった」。古里に思いをはせることは全くなかった。
 東京電力福島第1原発事故が起き、町は全域が避難区域になった。「町から人がいなくなった。現状を伝える人もいなくなれば、町そのものが忘れ去られてしまう」。そんな思いが次第に募った。2012年9月、一時帰宅した様子をブログに投稿した。
 反響に驚くとともに「もう受け身ではいられない」と思った。福島でのライブイベントに「追加出演者との交渉中」を意味する「and more…」の記載を見つけては「僕も出ていいですか」と電話した。
 浪江にも定期的に足を運んだ。実家の庭に雑草に埋もれながら、コスモスが揺れていた。子どものころの記憶がよみがえり、『Itsuka(いつか)』という曲にした。ライブでは、福島市で避難生活を送る両親らの話や故郷の現状も進んで語る。

●つながり広げる
 14年末、福島に戻った。昨年7月の「いわきPIT」オープン後は弾き語りを続けつつ、学生主体のイベントをサポートするなど活動の幅を広げる。福島に関心を寄せてくれた歌い手を東京や北海道から呼び、ライブを企画したこともある。
 「人とのつながりをさらに広げ、今度はどんどん福島に人を呼び込みたい。自分とつながれば、浪江や福島の現状が分かる、そんな全国と福島の懸け橋になりたい。それには自分も、もっと地元のことを知らなければ」。多くの人を巻き込み記憶をつなぐ。二度と戻らないつもりだった福島で、やるべきことはまだまだたくさんある。

「Itsuka」
  夕景 走りだした
  明日もまた会えるように
  嘘(うそ)も迷いさえも
  別れの時 儚(はかな)く
  「壊れたら捨ててしまおうか」
  「なくしたらいらない」って影になる
  忘れられない 花が咲いて 記憶の空
  僕が見た世界は 美しく 消えないよ
               (抜粋)
          ◇         ◇         ◇
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町。地元出身のシンガー・ソングライターが歌うのは悲しみや絶望だけではない。かつての美しい風景、再生への願い、前に進む強さ。被災地の真ん中で、仲間のいる福島で、浪江のはるか遠くで。歌声は記憶をつなぎ、故郷のあすへと響いていく。(福島総局・高橋一樹)


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2016年03月24日木曜日


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