福島のニュース

<歌声あすへ響け>この日常の大切さ切々と

ライブイベントで歌う牛来さん=2月14日午後8時すぎ、群馬県太田市

◎原発避難 福島・浪江の歌手たち(下)牛来(ごらい)美佳さん(30)=群馬県太田市

 全町避難という過酷な現実に心が追いつかなかった。友人や知人とは、もう会えないかもしれない。着の身着のままで避難を続ける中、「自分は浪江の人間なんだ」という意識がせり上がってきた。

 <暖かい手が 止むこと知らずに 強くつながっていること 忘れないで 僕たちは絶対 生き続ける つながり続ける>

 2011年3月14日。東京電力福島第1原発事故で福島県浪江町の自宅を追われた牛来(ごらい)美佳さん(30)は避難先で詩をつづった。こみ上げてきた思いは後に「浪江町で生まれ育った。」という曲になる。うまく話せない感情も、歌になら表現できる。

●感動与える側に
 幼い頃から歌手になるのが夢だった。中学、高校時代はダンス教室に通ったり、カラオケ店でアルバイトしたりしながら練習した。人を巻き込み、感動を与える側になりたい−。漠然と思っていた。
 19歳で結婚。翌年娘を出産した後、離婚した。育児と仕事に追われ、メジャーデビューの夢は遠のいた。それでも町の音楽イベントなどで歌い続けていた。
 福島第1、第2原発の構内が職場だった。2次下請けの社員として事務や放射線管理を担当し、3年働いたところで震災が起きた。
 郡山市の親戚宅に身を寄せた後、かつて住んでいた群馬県太田市に避難した。高校時代に知り合い、ずっと気に掛けてくれていた郡山市のライブハウスの店長福井公伸さん(53)の後押しもあり、震災半年後に歌手活動を開始。12年3月に初めてCDを制作した。

●風化にあらがう
 群馬県内を中心に歌った。原発被災地の現状や避難者の気持ちが伝わるだろうか…。不安はすぐに吹き飛んだ。レストランでのライブで人々は、食事を忘れて聞き入ってくれた。ライブ会場に何度も足を運んでくれる人もいた。自分の心が伝わっている手応えがあった。
 楽曲の多くに古里への思いを乗せる。帰還を諦めない気持ちを歌った「いつかまた浪江の空を」などを収録した3枚目のアルバムを昨年9月にリリース。ことしは富山県や福岡県などでもライブを行った。
 原発事故は、当たり前だった風景を突然奪った。「目の前の日常は決して当たり前のものじゃない。1分1秒を大切に生きてほしい」。そんな願いを込めて歌う。歌い続けることが、震災の記憶の風化をくい止めるメッセージになるとも信じている。

「いつかまた浪江の空を」
  遠く遠く 窓の外眺めて
  元の未来 探すけれど
  どこにあるの?
  いつもいつも 歩いていた道
  笑い声が聞こえてた優しい町
  あといくつ数えたら
  その日は来るのですか…
  いつかまた 浪江の空を
  またみんなで 眺める日まで
  歩こう 一緒に歩こう
  離れた手と手 伸ばして
  歩いていこう
            (抜粋)
          ◇         ◇          ◇
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町。地元出身のシンガー・ソングライターが歌うのは悲しみや絶望だけではない。かつての美しい風景、再生への願い、前に進む強さ。被災地の真ん中で、仲間のいる福島で、浪江のはるか遠くで。歌声は記憶をつなぎ、故郷のあすへと響いていく。(福島総局・高橋一樹)


関連ページ: 福島 社会

2016年03月25日金曜日


先頭に戻る